ぎざ失踪疑惑にソロでの立田山。

12月19日(土)。
話は前夜に遡る(*1)。

風呂から上がって寝室にいくと、ニョーボは既に寝ている模様。
ぎざは、とみてみると、ニョーボとわたしのどちらの布団にもいない(*2)。
階下も含めてあちこち探してみるが、姿がない。
さては、外に出たか?とおもって玄関ドアを開けてみるも、付近にはみあたらない。
またしても寝室にいくも、やはりぎざの姿はない。
それを2~3度繰り返す。

本など読みながらぎざが帰宅するのを待つのだが、一向に気配がない。
心配なれど(*3)やむなく、ネコドア封鎖を解除して(*4)寝る。

起きると、ぎざ、何事もなかったかのようにベッドの上にいる。
よかった、ちゃんと帰ってきた、とおもったら、どうやらニョーボの布団の中に潜り込んで寝ていたらしい。
そんな事情はしらなんだ(*5)。

外をみやると軽い積雪。
自宅前の畑、ガトーショコラ状態。
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雪はそのうち融けて消える。

この日のぎざさん。
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夕方近く、ソロで立田山へ(*6)。
冬たけなわ。
されどこぶしの木には既につぼみが。
あれこれみつけながらカメラ持って山を走り回るのは実は気持ちいいのかもしれず(*7)。

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しかし顔と指先が冷たい。
1時間もたずに限界。
撤退。


(*1)その日に起こったことについての記載を原則としているこの手記において、日付が変わった後、つまり、午前0時以降に起きたことを、日付が変わる前の日のこととして書くか、あるいは日付が変わった後の日のこととして書くか、ということはちょっとした問題点である。わたしは基本的には前者の例により取り扱っているのだが、今回は話の展開上、特別に後者の例により取り扱うこととする。
(*2)この季節、ぎざが寝るときはいずれかの掛け布団の上に寝ていることが常である。最近はわたしの上の方が多い。寒い夜、布団の上にねこが寝ているというのは、重い反面そこはかとなく暖かいものである。慣れてくると、その重みもまた心地よいものといえよう。あと、まるで眠さが伝染するかのように、寝付きがよくなるという作用もあったりする。ということで、冬の夜寝るときに、自分の布団の上でぎざが寝てたらラッキィ。
(*3)ぎざはこれまでに2度、短期間とはいえ行方がわからなくなったことがある。具体的には2005年2月7日同5月1日。あと、この日はやたらとしつこくカリカリいりこをねだる日で、夜遅くまで激しく訴えたりしていたものでなんだか外にでもいきそうだったことも不安要因として挙げられる。そのうえ、ちょうど読んでいた「荒木経惟 つひのはてに」で、あの、奥さんが亡くなった後の雪の日に積雪のベランダでチロ(←ねこ)が飛び跳ねている写真のところを読んでいたのである。なるほど、喪の世界から現実の世界に引き戻してくれたのはねこだったのである。で、ねこであるぎざが今所在がわからなくなっているのである。それは不安というものではないですか。ちなみに、朝日新聞の日曜朝刊の読書欄で、毎月1冊の本を読んだ読者からのあれこれな意見を掲載する、という「百年読書会」のコーナーで、内田百閒「ノラや」がお題となったことがあったのだが、かれこれ10年ほどねこと一緒に暮らし、短期間ではあるがねこが行方不明になったことがある身としては、あの本を読むと、まだみつからないのか、どこにいるのか、などと百閒先生のオロオロに一緒になってオロオロすることとなるのである。そりゃ、わからんひとにはわからん。
(*4)ネコドア封鎖に成功して以来ここ数ヶ月、白ぎざさんの侵入はない。
(*5)布団の中に入ってくるのは異例。だからわからなかった。それにしても、余程寒かったとみえる。
(*6)ニョーボは練習中につき。ちなみに、ソロで立田山に歩きに出かけるのは異例。というより、史上初かもしれず。
(*7)ホントに走れる。足元がフカフカであるため、むしろ一般道よりも走りやすいくらい。もちろん、持久力がないためそうそう走れはしないのだが。

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それもきっと寒さのせい。

12月17日(木)。
朝、スクーターのエンジンかからず。
キックスターター(*1)、右足左足踏み換えて何度も。それでもダメ。
寒さのせいで、とか、ついにエンジンがかからなくなったか(*2)、などと青ざめながら、3分くらいやってたときにハタと思いつき。
たしかめ。

エンジンキー、回ってない。差したままの状態。
そりゃダメだろ。

通勤時、極寒。

帰宅途中で髪切られに立ち寄り。


(*1)バッテリーの老朽化によりセルモーターが使用不可となって久しい。
(:2)そもそも、このスクーターは隣に住んでる方から無償貸与を受けている(もらったも同然、ともいう)もので、古い。

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マイナスへのカウントダウン。

12月16日(水)。
帰宅時、深夜なのに通りがかった学習塾ビルの前には車の列。
ほどなく、自転車に乗った中学生とおぼしき男子2名。
こんな時間(*1)に、なんでだよ。

あまりの寒さにスクーターのスピード出せず。
北バイパス沿いの3つの温度計(*2)、順番に1℃、0℃、-2℃(*3)。
どおりで。


(*1)日付は変わっていなかったが、もう時間の問題、という程度の時刻。わたしが中学生の頃だったらもうすぐ寝る、という時間ではなかったか。高校生の頃は間違いなく寝ていたぞ。
(*2)国道沿いにはたまにあるやつ。電光掲示板とセットになっており、この日の表示は「凍結注意」。
(*3)だんだん高度が上がっていくのである。

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フランスはいつだって突然やってくる。

12月10日(木)。
一部で騒ぎになっているが、Becquet 師(*1)、くるらしい。
みてみると、福岡まではくるらしい
平日なれど、いくか?

なにげなしにNHK-BS-hi みてたら、こんなのが。
全編フランス語で、字幕ついて、なんだか、映画みたい。
フランスの小さな村の夏。
2004年、Limoges 近郊の、Saint-Yrieix-la-Perche でのを思い起こさせるような。

あやしうこそ物狂ほしけれ。


(*1)Michel BECQUET 。トロンボーンの世界の偉人。もしもトロンボーンがどのようなものかをしりたかったら、このひとの音楽を聴くというのはかなり素晴らしい選択肢である。もっとも、それを標準だとおもってもらうのも困るのだが。それはさておき、本編のタイトルが、2006年11月14日分となにげに対応しているので、こっそり表記を変えてみたりしている。

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残念ながら、どうしてもタイトルをつけることができない。

12月6日(日)。
午後、ニョーボと立田山へ。
紅葉にかすかな期待をしていたが、すっかり冬に。
しかし冬もまたよろしくてよ(*1)。

ニョーボと現地で別れてちと所用。

車内で The Stalin「Fish Inn」。
そのコトバは音と無関係ではいられず、しかして音に支えられなければ立っていられないようなものでもなく(*2)。

所用済ませて一時帰宅。

夕方、ニョーボとわたしの両親の家へ(*3)。
両親と鍋など(*4)。

夜、帰りに橙書店へ立ち寄り。取り置いてもらってた本(*5)を受け取りに。
その他あれこれ読んでみたい本あり。困る。

帰宅後、早速ちと読んでみる(*6)。


(*1)冬の魅力なるものがあるとすれば、そのひとつは空であろう。晴れた空の青さは他の季節とはまた違った趣がある。また、葉が落ちて枝や幹だけになった木々の、その枝の向こうに拡がる空の様相もまた格別。カメラ持っていって写真撮ってたらバッテリー切れてしまう。フィルムカメラも持っててよかった。結局フィルム1本使い切ることに。
(*2)遠藤ミチロウの表現の特質がコトバにあることは疑い得ない。しかし、それは例えば詩にメロディをつけたようなものとは違う。また、メロディに言葉の帳尻を合わせたようなものとも違う。コトバとメロディが不可分であるものを、あえて「うた」だといってもよいだろう。そしてそのコトバの純度の高さを感じる。それがこのアルバムの、深い海の、光が届かない世界のような冷たく暗い感触につながっている。もはやそれがパンクなのかどうかなどどうでもいい。
(*3)前日が曾祖母の命日だった。1989年だったから、ちょうど20年。当時大学4年生。これまでの人生の、ほど中間にあたる時期。ひええ。ついこないだのことのようなのに。ちなみに、曾祖母が生まれたのは1886年。アルバン・ベルクとほぼ同じ頃である。当然、面識はなかったが。
(*4)この展開は希有。そもそも、あの家出過ごしていた間、いわゆる鍋を囲むという習慣自体を記憶していない。
(*5)フィリップ・フォレスト「荒木経惟 つひのはてに」(白水社)。このあたりのことは11月28日分に。
(*6)あれこれおもい感じるところはあるのだが、ひととおり読んでからにしよう。そのようなことをいっていたら書けるのはいつになるかわからないにしても、それも承知で。

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比較的北の方へ向かい、結果としてある種の世間なるもののつながりを触れ知ることとなる。

11月29日(日)。
この日の予定。午後、菊池~山鹿へ。

まずは菊池へ。
行き先は星乃窯(*1)。
同時開催のギャラリー・コーエンでの展示とは全然違う(*2)。へぇ。
たしかに、消失点は常に中心にあるわけではない、のだな(*3)。
あまり時間がなくて残念(*4)。

それから山鹿へ。
目当ては「米澤朝美ピアノリサイタル」(*5)。
まず、会場が印象的(*6)。
シューマン、事前にちゃんと聴いておけばもう少し違った受け取り方ができたかもしれず。しまった(*7)。
ショパン、装飾音符の必然性(*8)。

終演後、付近をウロウロ。
古くからの街並みは楽しいのだが、一本裏通りに入るとこれがまた楽しい。

しばしそぞろ歩いて駐車場付近に戻ると、なんとはなしに看板に惹かれて古い建物の方へ。
看板には、百花堂、ですと。
中にはいると、これはいわゆる町屋である。あるんだ。へぇ。
そこにおられた女性に話を聞くと、どうやら、古い町屋を借りてギャラリーにされている由。ちょうどこの日までの展示が終わり、先程搬出されたとのこと。
そうか、ギャラリーか、とあちこち眺めやれば、なんだか、みたような陶人形が。
これは、にしだみきさんの、ですな(*9)。
あと、中庭に妙に巨大な急須が、とおもったら、これは出窯のやつ。妙に似合ってる。
中庭があると、まるで家の中が直接外とつながっているかのよう(*10)。この感覚はなかなか心地よい。

途中で夕食とって、「水辺プラザかもと」で野菜買ったりして帰宅。


(*1)この日と前日、「小さな秋展」開催中。
(*2)ものすごく乱暴なまでに単純にいえば、前者は器系で後者はオブジェ系、あるいは、前者は日常系で後者は非日常系、などと区別するやり方もあるだろう。もっとも、そんな単純なものではないのだろうが。
(*3)器が小皿である場合、もしもその造形がろくろによるものであった場合は、その構造上、円の中心なるものがその造形に内包されることとなろう。一般的には、その中心と消失点が一致していると、なんとはなしに安定性が感じられるかとおもう。一方、中心と消失点が一致しない場合、そこにはなにがしかの暗黙の意外性がある、とでもいえようか。どこか、感覚を揺さぶられるようなものを感じる。
(*4)などといいながら、茶豆さんの芋の汁粉はしっかりいただいたり。
(*5)東京で演奏活動しているひととのことだが、山鹿出身らしく。ちなみに、この方はニョーボと同じ門下野方らしい。ということで、客席にはニョーボ師匠や同門下の知り合いの方などの姿も。で、詳細は以下のとおり。
日時:2009年11月29日(日) 14:00開演
場所:山鹿市 天聴酒蔵跡
出演者:米澤朝美(pf.)、酒井貴代(fl.:イベールとプーランクのみ)
曲目:
・シューマン/ダヴィッド同盟舞曲集Op.6
・イベール/小品
・プーランク/フルートとピアノのためのソナタ
・ショパン/即興曲 WN46「幻想即興曲」
      ノクターン 変ホ長調 op9-2
      ワルツ 変ホ長調 op18「華麗なる大円舞曲」
      ポロネーズ 変イ長調 op.53「英雄」
(*6)演奏よりも先にその会場の特異性に触れないわけにはいくまい。現在は廃業している、古い造り酒屋の蔵が、構造上はそのままに簡易な反響板を配するなどして演奏会場となっている、といった様相。見た目に反して響きが自然に感じられるのは、内装が自然素材(というか、要するに木造)であること、天井が高いこと、座席が土間にパイプ椅子というもので妙に音を吸収しないこと、といった要素が要因として考えられるかもしれない。客席数は約150前後、といったところか。ピアノにはいい感じ。弦のカルテットなんかもよさげ。金管でも実はいいのかも。
(*7)実はCDを持ってる。ずっと前、福岡在住の頃に彼の地で買ったもの。輸入盤でコルトーのシューマンが3種類あったから全部買ったのだが、その中の1枚に入っている。1920年代末の録音で、つまり決して音はよくない。で、あまり聴いてなかったりする。つまり、この曲は全部で18曲からなるのだが、聴いているうちに音楽がどのあたりを進んでいるのかついていけないのである。そのようなことを考えなくとも、聴いて感じればよいのかもしれないのだが結果として受け取り方に難があった、というわけ。聴いとけばよかったねぇ。
(*8)そしてそれはどうやら均一であればよいというものでもないのかもしれずして。
(*9)みたような、というか、星乃窯でみたばかり。にしださんご本人にもお会いしている。ちなみに、女性の息子さんはその前日星乃窯にいかれたらしい。それも世間、というものなのだろう。
(*10)ちょうど雨が降り出したのだが、雨水がホントに土間に設けられた排水溝を通っていくのである。

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"ひとが、文字によって表出したものを読むこと"に惹かれるあまり、久しく離れつつあった"ひとが、場合によっては言葉と併せながら、音によって表出させたものを聴き取ること"が、にわかにわたしの方へ戻ってきたのか、それともわたしがそちらへ戻っていったのか、いずれにしても、要するに、近頃イマイチ関心がなくてあまり聴いてなかったCDなるものを、また聴くようになった、というだけのことなのだが。

11月28日(土)。
この日、午後、ボウリングの定例会にひさびさに参加(*1)。スコア上々(*2)。

移動中、CDウォークマンにイヤフォンで King Crimson「B.Boom」(*3)。
おお、実はカッコヨイではないですか(*4)。

夜は宴会の予定。
市内中心部の繁華街まで徒歩で。ちとヨレヨレ気味(*5)。
随所に秋。たけなわ。

橙書店に立ち寄り。
フィリップ・フォレスト「荒木経惟 つひのはてに」のお取り置きを依頼(*6)。

宴会までまだ時間がある。タワーレコード熊本店へ。
この日気になったのはザ・スターリン「Fish Inn」のオリジナル・ヴァージョンのデジタル・リマスタリング盤(*7)。
しかし買わずにこらえていたところに注文していたCDが届いた旨着電。即受け取り(*8)。

受け取ったのは、佐藤聰明「太陽讃歌」。

店から出て、早速聴いてみる。

"リタニア"。
なんというか、細密、とはいえないにしても、巨大な構築物。
あと、ピアノがこんなに素材として感じられる音楽は他に類をみない、という印象。

宴会は1次会で辞去。バス停へ。

帰宅途中、CDの続き。"太陽讃歌"。
なんだか、ラジオで聴いたときよりも美しく感じる。


(*1)天草支社勤務時、当時の上司や同僚たちの間でボウリングがブームになっていたことがあったのだが、そのときのつながりで年に数回定例会+宴会なるものが開催されている。わたしは毎回参加しているわけではないのだが、今回は他に予定もなかったので参加したもの。ちなみにわたし以外のひとたちは皆マイシューズを持ってるし、マイボールまで持ってるのも数人いる。
(*2)当社比。成績は下から2~3番目。ちなみに参加者は8名。
(*3)King Crimson の歴史は長い。1st.アルバムは'69年にリリース。'73~'74年頃で一時活動を停止するが、その後'80年頃に再結成。数年間活動後再び停止し、'90年代半ばにギター×2、ベース(というか、スティック?)×2、ドラムス×2のツイン・トリオという、よくわからないが画期的なような気もする編成で再々結成。で、このアルバムは、この時期の、ある種のオォーム・アップ的なツアーの録音を、ブートレグ対策として緊急リリースしたもの、だとか。ということで、ジャケットには"Official Bootleg"と記載されている。
(*4)実はカッコヨイのはこの時期ならではの"VROOM"、"B.Boom"、"THRAK"、"VROOM VROOM"といったナンバーに加え、"Frame by Frame"、"Elephant Talk"、"Indiscipline"といった「Discipline」のナンバーだったりする。というのは、このアルバムがリリースされた頃、一部では酷評されておったりして、わたしは当時ほとんど聴いてなかったりするわけでして。ある種の悔恨。
(*5)5ゲームもやると、腕よりも足腰に即効性の疲労を感じる。
(*6)この本のことは11月26日分をご参照いただきたい。なお、この店では、注文には出版社により応じられるものと応じられないものがあるということだし、発注の時期により緊急には対応できない場合もあるとのこと。今回の場合、白水社の本は取り扱っている(聞かずとも棚をみればわかる。「さりながら」も置いてあるし)し、ちょうど近々注文するところだったらしく、なんだかちょうどよかったみたい。そりゃぁ、他の本屋に注文してもいいし、もしかしたら他の本屋だったら店頭に在庫があるのかもしれないけど、気になる本はこの店で買って読みたい、という気持ちがあるわけで。それも性格が不自由なことのひとつの表れであるにしても。
(*7)オリジナル・ヴァージョンがあるということは、そうでないものもあるということ。具体的には、ビル・ラズウェルがリ・プロデュースしたディスク。わたしはそっちのしか聴いたことがない。オリジナルのレコード、買っときゃよかったとおもったものである。店頭でみたことはあったのに。
(*8)だって同じ店内にいたのだから。

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「ついに、荒木」。

11月26日(木)。
この日きた白水社のメルマガ読んでたのだが、どうやら、この本(*1)、出たらしい。
読まねば(*2)。


(*1)フィリップ・フォレスト著/澤田 直、小黒 昌文 訳「荒木経惟 つひのはてに」。これってやはり、"Araki enfin/ L'homme qui ne vécut que pour aimer"の翻訳なんだろうか?だとしたら出版を待っていた。そのあたりのことは1月17日分あたりをご参照いただきたい。ちなみにサブタイトルはま井原西鶴「好色一代男」の仏語タイトルらしいのだが、その意味は「愛することでしか生きられない男」だとか、などというのはこのあたりのウケウリである。それはともかく、この本の、同じ出版社から出ている「さりがなら」と同じような感触の装幀が印象的。さらにちなみに「さりながら」は、昨年読んだ本の中でもかなり印象に残った一冊。そのあたりのことは2008年12月21日分あたりをご参照いただきたい。
(*2)今度こそ、橙書店に入荷してないだろうか。いっそ注文するか?

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闇夜の紅葉狩り。

11月24日(火)。
帰宅しようと社屋から外に出ると、夜なのにおそらく親子連れとおもわれる女性と女児の姿。なにやら立ち止まっている。
みると、子とおもわれる女児の手にはビニル袋。
付近をよくみたら、彼女たちの頭上にはどうやら紅葉。
その紅さは、視覚的にというよりは心理的に。イメージとして。
ハッキリしているようなのにどこかほのか。

それにしても、気付かなかったねぇ。

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やはり「庭・雨」だったらこのようにはならなかったのだろう。

11月23日(月・祝)。
午後、健軍へ(*1)。
自分でやろうとはおもわないやり方(*2)ではあったが、きっとこういうのはアリなのだろう(*3)。

帰路、タワーレコード熊本店へ立ち寄り。
目当ての 佐藤聰明「太陽讃歌」のディスク、店頭になかったので注文(*4)。
かわりに、というわけでもないが、目についた、武満徹「Field of Miniatur II」なるディスク(*5)を購入。

帰宅後、"ガーデン・レイン"(*6)。
美しさのあまり立て続けに2回。


(*1)詳細は以下のとおり。なお、表記は基本的にはプログラムに準拠。
熊本市自主文化事業「たけみやアートフォレスト2009」
トロンボーンアンサンブル「凜」コンサート
日時:平成21年11月23日(日・祝) 14:00開演
場所:熊本市健軍文化ホール
曲目
第1部
・碧と緑のファンファーレ/大内邦靖
・イタリアン舞曲/H.モーレン
・3つのエクアール/L.V.ベートーベン
・二つの小悪魔の物語/M.ルフェー
・ロンドンデリーの歌/アイルランド民謡
・トウキョウ・トリプティック/P.スパーク
第2部
・ひょっこりひょうたん島/宇野 誠一郎
・もみじ/岡野 貞一
・川の流れのように/見岳 章
・となりのトトロメドレー/久石 譲
・Shoutin' Lisa Trombone/H.フィルモア
・Temobossa/今村 光貴
・スリー・ジャズ・ピーシズVol.2/I.ルイス
・ゴスペルタイム/J.アグレル
(*2)開演前にBGMが流れているとか、緞帳が下りてるとか。曲目にしても、フィルモア以外は見事なまでに1曲もやったことがない。そのフィルモアだって、演奏会ではやったことがない。そもそも、嫌いなのである。大嫌いといってもそう不正確ではない。Ingo LUIS にしても「ゴスペル・タイム」にしても同様である。
(*3)そういうわけなので、ああいうことやってうらやましい、ということはなかった。しかし、技術は確かだし(いわゆるバストロンボーンの現役音大生なんて、わたしよりもはるかに上手)、構成としてバラエティに富んでいるといえるし、客席にはSWのときよりも多くの聴衆がいて、しかもある程度受け入れられていたし。ということで、あれこれ考えるところが多かった次第。あと単純に、ああいうようにやれること自体にはある種の羨望を感じることで。まだ20代なのに、などと。
(*4)何年も前、日曜にニョーボと南阿蘇方面へ出かけたわたしは、夕方帰宅途中、車内でNHK-FMの「現代の音楽」を聴いていた。そのとき聴いた曲の印象がなんとも強烈で、ぜひちゃんと聴きたかったのだが、ずっと以前、LPでリリースされて以来CD化がされていないようなものだったため、聴けなかったのである。それがこの曲だったというわけ。ちょうど作曲者をスタジオに迎えていた比較的最近、CD化されていることが判明したため、これは聴かねば、というわけで。
(*5)レーベルはいわゆるドイツ・グラモフォン。収録内容は以下のとおり。ちなみに目当ては、PJBEもさることながら、高橋悠治のピアノ。
・フォー・アウェイ
・遮られない休息 I
・遮られない休息 II
・遮られない休息 III
・ピアノ・ディスタンス
・ピアニストのためのコロナ
 高橋悠治(ピアノ)
・フォリオス
 荘村清志(ギター)
・悲歌
 アイダ・カヴァフィアン(ヴァイオリン)、ピーター・ゼルキン(ピアノ)
・ガーデン・レイン
 フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル
・ソン・カリグラフィ I
・ソン・カリグラフィ II
・ソン・カリグラフィ III
 小林健次、平尾真理、梅津南美子、十川みゆき(ヴァイオリン)
 江戸純子、田中あや(ヴィオラ)
 高橋忠男、工藤昭義(チェロ)
 若杉 弘(指揮)
(*6)"ガーデン・レイン"といえば、はじめて参加した'97年のNABEO・BEF。ゲストがフィリップ・ジョーンズ氏。それにちなんで(おそらく)SVBEがやったのがこの曲。以前ラジオで聴いたことはあったのだが、まさかアマテュアがやるとはおもわず、仰天した。このときのBEFといえば、ガンマのメシアン、近衛のエルガー、そしてPCのワンダバ伝説、といった、忘れられない演目が多かった。それにしても、言葉の響きもなんだか美しいねぇ、"Garden Rain"って。脚韻で。

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«時間の可視化、ベクトルの快楽、そして渡りに船を経由して蛇の道は蛇。