"Aladdin Sane" に潜む "insane"。

1月10日(火)(*1)。
Billy Joel"You May Be Right"(*2)の歌詞の中にみられる"lunatic"、"crazy"、"madness"という単語が、妙に印象に残っていた(*3)。
すると、そこで、"Aladdin Sane"(*4)の中に"insane"が潜んでいることに気付き、愕然とする(*5)(*6)。


(*1)今回も例年のように家庭が大変なことになる年末と、一転して穏やかな年始があったし、ニョーボのおせちだってちゃんとできたのだが、そのあたりのことを手記に書く余裕がない。
(*2)'80年にリリースされた、アルバム「Glass Houses」のオープニング・チューン。シングルカットもされた。アルバムのジャケットと、冒頭にガラスが割れる音が入っていることからか、「ガラスのニューヨーク」という邦題が付けられているが、曲の内容とは一切関係はないものとおもわれる。
(*3)話は数日前に遡る。とあることがきっかけで、高校生の頃の同級生たちと4人で飲みにいった。で、2軒目でカラオケルームにいくハメになり、結果的に2時間ノンストップで4人でマイクを回し続けたわけなのだが、高校生の頃に Billy Joel が favarite だった同級生へのある種のオマージュとしてこの曲を入れて歌っていた次第。で、Billy Joel も最近はどうにかなってるみたいで、みたいな話をしていたところに、歌詞の字幕で目に付くこれらの単語。すべて、「気が狂った」とか「狂気」とか、そういう単語。曲調がロックンロールなもので、"crazy"に関してはまあある意味馴染みといえよう。"madness"だってそんな感じ。ただ、"lunatic"は個人的にはそうではない、というのはきっと、Pink Floyd "Brain Damage"の最初の一節が"The lunatic is on the grass."だからに違いない。このバンドは、この曲やSyd Barrett の存在、また、彼に対するオマージュ、ともいわれている"Shine On You Crazy Diamond"など、一連のあれやこれやとも合わさって、中学生のわたしに「狂気」の世界への一種の憧れを抱かせるものだった。それはともかく、これらの単語が、ロックンロールにお似合いの、単におおげさな表現としてなのか、はたまたそうではなく、ショウ・ビジネスの、あるいはロックンロールの中に潜む心の闇の世界を垣間見せるものなのか、そしてもしも後者だったら、Billy Joel の心の闇はいかほどのものだったのか、などとあれこれ考えてた次第。
(*4)David Bowie のアルバム「Alladin Sane」のタイトル・チューン。
(*5)"insane"の意味合いは前述の単語とは少し異なるのではないか。というのは、これは「"sane"(=正気)ではない」ということである。ここには、あなたにとっての"sane"とは何か、という視点がある。わたしを"insane"といってしまうあなたは"sane"なのか。多数の人が"sane"であり、それがいわゆる「常識」だというのか。わたしからみれば、あなたのほうが"insane"なのではないか、などなど。
(*6)検索してみると、もともとこのアルバムのタイトルの候補としては、「A Lad Insane」(=正気でない若者、ってとこ?)などあった、とか。なんだ、みんなしってたのね。発見だわ!とおもってたのに。それにしても、名曲。

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この日は世間一般ではいわゆるクリスマスだったようなのだが、わたしの行動の一切とそれとの関連は確認できない。

12月25日(日)。
この日午前、レッスン。高速バスで福岡へ向かう。
無事天神バスセンターへ到着(*1)。
鏡に映った自分の姿には不審者の気配(*2)。

で、レッスン。
あれこれあれど、やらねばならぬことは、端的にいえば、使えるカラダを造る(*3)、というのと、アタマの中でつくって臨む(*4)、ということになるか(*5)。

レッスン修了後、南薬院へ。
marcello で靴にグラグラするも踏みとどまる(*6)。
coffon で昼食。

天神に戻り、タワーレコード福岡店へ。
ほとんど目にとまらず(*7)。
早めにバスで帰熊。


(*1)前夜から寒く、道路の凍結や積雪などがちと心配だったのだが、そういうことはなかった。ただ、車窓からみえる阿蘇外輪山はうっすらと雪化粧、といった様相だった。それにしても、天神は熊本よりは暖かいという印象。
(*2)場所が場所なら職務質問を受け、背負ったケースの中を確認させられること必至。
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(*3)なんやかんやいって、管楽器プレイヤーとして、息が続かない・音をキープできないというのはやはりイカンのだ、と反省。どうにかして毎日やらねばなるまい、といいながら、年末ファイヤー状態に入った本日(=12/31)現在なかなかできてない。←これ書いてるくらいなら練習せねばならぬのではないか
(*4)音色・音程・ダイナミクス・フレーズの表情・その他いろいろ。いきあたりばったり、というのが一番イカンらしい。
(*5)そんな基本的なことを、こういうことでエラそうに書くこと自体がそもそも恥ずかしいことではないか、という気もするのだが。
(*6)のだが、新天町のどこかの靴屋で、全く別の靴を購入(=今履いてるやつを更新)。それにしても新天町って、異様に靴屋が多いのではないだろうか。
(*7)すっかり枯れてしまっている、といった様相。熊本店がなくなっても、結局何も変わってない、ということ、か?

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大石内蔵助というポップ・スター。

12月19日(月)。
深夜、芥川龍之介「或日の大石内藏助」(*1)を。
本意を遂げ、満足した心持ち(*2)は、世間の誤解と、それが後世まで語り継がれていくであろうこと(*3)の、なんともいえない、「冴返る心の底のしみ透り來る寂しさ」「云ひやうのない寂しさ」(*4)、うしろめたさ、そのようなものに覆われてゆく。季節の穏やかさと裏腹の、曇った感情。

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(*1)筑摩書房「近代日本文学」シリーズの「芥川龍之介集」に収録。この本の詳細は4月5日分の手記に。ちなみにその全文は、「青空文庫」で読むことができる。残念ながら旧字旧仮名遣いではないのだが。
(*2)「単に、復讐の挙が成就したと云うばかりではない。すべてが、彼の道徳上の要求と、ほとんど完全に一致するような形式で成就した。」「事業を完成した満足を味ったばかりでなく、道徳を体現した満足をも、同時に味う事が出来た」などと記載。この「道徳」というのが必ずしも世間にとっての「道徳」と合致したものではなかったのではなかろうか。それが誤解へとつながるのではないだろうか。
(*3)当時の、「義士」たちによる敵討ち、仇討ちなるものに対する世間のファナティックな称賛は、江戸中に仇討ちの真似事が流行ったり、討ち入りに参加しなかった「不忠な」元藩士たちに対する激しい断罪にもつながっていく。しかし、大石は彼らを「憐みこそすれ、憎いとは思っていない」。断罪するどころか、「我々と彼等との差は、存外大きなものではない」とまでしている。「何故我々を忠義の士とするためには、彼等を人畜生としなければならないのであろう。」とも。また、大石が討ち入りの準備のため、相手方に気付かれないよう放埓を装って、彼らの眼を欺いた、ということにしても、「この記憶の中に出没するあらゆる放埓の生活を、思い切って受用」もし、「その放埓の生活の中に、復讐の挙を全然忘却した駘蕩たる瞬間を、味った」ともいい、「彼の放埓のすべてを、彼の忠義を尽す手段として激賞されるのは、不快であると共に、うしろめたい」ともいっている。
(*4)自分の行為・行動が、極めて広範囲にわたってその意図と大きく異なった受け取られ方をする、ということは、構図としてはそう特別なものではない。一つの類型としては、ポップ・スターがあるだろう。そのパブリック・イメージは、自分で作り出したものではなく、また、自分の手には負えない。大石内蔵助をある種のポップ・スターと考えると、そしてそれは本人が決してそのようなものを意図していなかったことを考慮すると、この「冴返る心の底のしみ透り來る寂しさ」「云ひやうのない寂しさ」は、非常に印象的なものとなる。実はそれは、芥川本人も心のどこかに抱えていたものではなかろうか。

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38年後の「Quadrophenia」。

12月12日(月)。
仕事の帰り、聖飢魔II のディスクを探しに(*1)帰路途中のブックオフに立ち寄り。聖飢魔II 関係にも、クラシック系にも、特にめぼしいものはない。
で、周囲の棚をなにげに眺めていると、ふと、The Who の棚に「Quadrophenia」のDeluxe Edition なるものが(*2)。
中味を確認すると、日本盤限定のSHM-CD。オリジナルLPに付いてたのをを再現した36ページのフォト・ブックレットとPete Townshendによる書き下ろしのライナーを含む28ページのブックレットがたしかに封入してある(*3)。
デジパック仕様で、内ジャケットの写真も再現(*4)。
2枚組で、Pete Townshendによるデモが収録されているのは、個人的にはまあどうでもいいのだが、定価3,800円に対して売価2,950円。
紙ジャケに盛大に価格等のシールが貼られているのに眩暈をおぼえるも、わたしは別にマニアではない、ということで、この際それは不問とする(*5)。
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ということで、購入。
すぐ近くの棚に「Stone Roses 20th Anniversary Legacy Edition」もあるのだが、それは今回見送る。

帰宅後、ネットで調べてみたら、どうやら輸入盤をネット通販で買った方が低額だった、ということがわかる。
日本盤の方がジャケットなど手が込んでるはず、と思うこととする。

深夜、CDウォークマンにイヤフォンで少し聴く。
驚いた。印象が違う(*6)。単にクリアになった、とか、情報量が増えた、とか、バランスが改善された、などというのではなく、再編集した、とうか、一部作り替えたかのようにさえ感じる(*7)。


(*1)白状する。ここ数日、聖飢魔II にハマっている。契機はTとあれこれ打ち合わせなどしてたメールの中の、今、ラジオで聖飢魔II の「織田信長」なる曲がオンエアされたが、しってるか?というような記述。かつてヘヴィメタ中学生だったこともあるわたしとしては、既に高校も卒業した後ではあったにせよ、初期の聖飢魔II は一応レコードを買って(貸レコードで使われてた安い中古、とはいえ)聴いたりしていたので少々の知識はあったのだが、その曲は聴いたこともなければタイトルすらしらなかった。んで、帰宅後動画みてみたら、すっかりハマった、という次第。スタジオテイクライヴテイクもどちらもすばらしだが、特に後者が傑出。エース清水とSgt.ルーク篁3世によるツイン・リードギターによるハモリ系のフレーズがえもいわれず。ルークのタッピングとエースのトラディショナルな速弾きの対比も。ゼノン石川(実はこの曲のコンポーザーでもあったり)とライデン湯沢によるクールなベース&ドラムスもよろし。ま、戦国武将系ゲームに合いそうな楽曲、という見方もあるが。それにしても、このひとたち、デーモン小暮のヴォーカルも含めて、演奏が凄く上手い。
(*2)そういうディスクが出ているのは全然しらなかったが、実はそういうのが出てないか、と探していたことがある。
(*3)プラス、ライナーの日本語訳ブックレットが別に。
(*4)推測だが。
(*5)とはいえ、粘着性のテープなどに耐性がイマイチで、しかも可塑性がない、商品のパッケージの紙に、シールを貼るなどという行為自体は正気の沙汰ではない。今回、結構無理して不問としている。だらが。なお、その後、シールをはがしてみたら、まあきれいにはがれた。よかった。
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(*6)20年以上前に購入した、米盤のCDと比較しての印象。1996年リミックスの、2011リマスター、だとか。いや、リミックスとリマスターの違いがよくわからないのだが。
(*7)リリースから40年位経った作品を作る直す(といっていい、のか?)Pete Townshendの執念に感じ入る次第。


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"imparfait"。

12月5日(月)。
「不完全なレンズで-回想と肖像」、やっと読み終える(*1)。
とおもったら、訳者堀江敏幸氏による解説(*2)がまだあるではないですか。
これが、愛に満ちた素晴らしい解説。
この著作の原題(*3)にある"imparfait"が意味として併せ持つ「半過去形」(*4)と「不完全」を足がかりとして、決して読みやすく、わかりやすいとはいえない著作からドアノーの視点や認識を明らかにしてくれる、といった様相。
解説として素晴らしいだけでなく、それ単体で読んでもこのひとならではの文章を楽しむことができる(*5)。
でもやはり、本文を読んでから解説を読んだ方がよりいっそうよさそう。

とりあえず、これでまずは次の本にとりかかれる、ということで(*6)。


(*1)この本については前日分の手記の本文末尾と(*11)を参照してもらえたらよい。ちなみに、買ったのいつだっけ?とおもってリアル手記(=B6版ノートに手書き、の文字どおり手記。ネット上の「手記」とは別)を探してみたら、昨年の12月22日だった。辛うじて1年経ってなかったのだな。
(*2)タイトルは、「レンズの半過去形で-ロベール・ドアノー」。約17ページにわたる。
(*3)「A L'IMPARFAIT DE L'OBJECTIF」。これは、ドアノーによる、詩人ジャック・プレヴェールを被写体とした写真集「ジャック・プレヴェール通り」の序文の末尾に置かれた一節からとられているらしく。ちなみにその一節とは、「きみが《写真を撮る》という動詞を活用させるときは、いつだってレンズの半過去形でなんだ。」という、必殺のフレーズ。
(*4)フランス語の時制の一つ。どうやら、過去における持続や習慣を表現する際の時制で、行為が未了の状態をあらわす、とか。詳細は検索していただきたい。← 苦手なもので
(*5)例としては、「いいかえれば、写真はつねに主観的で、ある意味では偽の証言でなければならない。」や「感情がこめられているからこそ、それは正しく歪むのである。」など。これまた必殺のフレーズ。また、ドアノーが育った「郊外」と、堀江氏の小説「郊外へ」と。これもまたいつか読まなきゃならないだろう。
(*6)まだ読み終えてない本はあれこれある。緊急性が高い(当社比)のは、三輪眞弘著「三輪眞弘音楽藝術──全思考1998─2010」(アルテスパブリッシング)。さ、「紙の民」にはいついけるのか?

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ある種の合宿状態での酒宴の翌朝ダメージを残さずに練習に臨むことはできても、読みかけの本を読んでしまうまで読みたい本に手を付けないでおくことはどうやらできなかったらしい、などといいながら、そのような対比の無理を実はうすうす勘付いてはいる。

12月4日(日)。
前夜飲んだ(*1)のはそれはそうとして、朝からSW練習@楠コミセン。シニア部3名+青年部1名(♀)(*2)。
前夜も顔を合わせたシニア部3名にダメージはみられず(*3)。
Lys に手間取り(*4)。Roikjer には充分時間とれずとも(*5)なんとか最後まで通して解散。

夕方(*6)、わたしの親の家へ(*7)。一緒に食事など。

辞去した後、橙書店へ。まだ読み終えてない本があるのだが、あれこれ気になる本(*8)が。さんざん考えた挙げ句、「紙の民」(*9)を購入。

で、帰宅後、そっちは読まずに、「図書」12月号の「神曲」(*10)や、読みかけの「不完全なレンズで」(*11)。を読んだり。


(*1)前日分の手記を参照いただきたい。
(*2)11月26日分手記の(*1)と(*2)を参照いただきたい。
(*3)ワイン1本/人程度だったから、という複数の見解あり。いや、わたしとしてはあのくらいで充分だったのだが。
(*4)この曲はこれまでに本番にかけたことがない、いわば、新曲状態。時間がかかるのは承知の上ではある。ちなみに最初、神曲状態、と変換したのが妙にツボにハマった。
(*5)楽譜を細かくチェックするには、という意味での充分な時間が。
(*6)時間を間違え、約束よりも1時間遅れていった。どうしたことか。わたしとしたことが。
(*7)翌日が曾祖母の命日なので、1日早く仏壇にまいった次第。没後22年。生きていたら125歳。
(*8)以下順不同。◆「不穏の書、断章」 フェルナンド・ペソア著/澤田 直 訳:思潮社刊。◆「スクロール版 オン・ザ・ロード」 ジャック・ケルアック著/青山 南 編:河出書房新社。◆「パリのすみっこ」 鈴木るみ子編:マガジンハウス刊。◆「幻のアフリカ」 ミシェル・エリス著/岡谷公二・田中淳一・高橋達明 訳:平凡社ライブラリー。
(*9)サルバドール・プラセンシア著/藤井 光 訳。白水社刊。ここしばらくの間気になっていたが、まだ読み終えてない本があるため購入を見送っていたもの。しかしそんなこといってたらいつになったら読めるかわからないし、店頭から消えて手に入らなくなることもあるかもしれない。読みたくなったときに手元にないと困る、とか、読まずに寝かせていると、あるとき呼ぶ声がして読むということもある、といった考え方もあるし。だって、あの店に行ったのは久しぶりだったのだから。などとあれこれ正当化。
(*10)ダンテ/河島英昭訳。煉獄篇・第十二歌:岩波書店刊。
(*11)ロベール・ドアノー著/堀江敏幸訳:月曜社刊。まだ読み終えてなかったのか、といわれると申し開きのしようがない。もう1年くらい経つのではなかろうか。

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ある種の合宿状態における、ある意味らしくないオトナな酒宴。

12月3日(土)。
夕方、割と早い時間(*1)からSW公式宴会@T宅(*2)。
メンツはT夫妻、S藤、ニョーボとわたし、の5名。内容は「ワインがぶ飲みコース」(*3)。手料理(*4)とワインを楽しみながらCDなど聴きながら談笑、というオトナな酒宴(*5)。
なんと23時過ぎにお開き(*6)(*7)。ワインの空瓶は5本(*8)。

正気を保ったままタクシーで帰宅。


(*1)当社比。ちなみに時間としては18時前後、だったかと。
(*2)前回のSW練習時、S藤がこの日にT宅で呑みたい、と日程会場指定宴会開催を発議するので、そのまま決定した次第。酒を飲まないと生きていけないひとの発言力は強い。
(*3)まぁたそぎゃんこつばゆうてから、などとおもっていたのだが、実際そのとおりではあった。
(*4)感謝。
(*5)いつのまにかそういうことができるようになった。比較的長く生きていることは必ずしも悪いことではない。
(*6)しかも誰も酔いつぶれて寝たりしなかった。翌日朝からSW練習の予定が入っていたため、深酒を避けたい、という思惑もあってのことはあれど、それでも以前は日付が変わらないうちにお開き、ということはなかったのではないだろうか。これはオトナになった、というより、トシ取って無理がきかなくなった、ということではないのか?死ぬのでせうか、いいえ、誰でも。
(*7)とはいえ、飲み始めてから4~5時間は経過していたのだが。それにしても、夜酒飲んで翌朝練習、というのは、なんだか合宿のようではある。
(*8)単純計算で1本/人。とはいえ、当然ながら飲酒量には個人による差がある。

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「天国的な長さ」を求めて。

11月26日(土)。
午前、SW練習@北部公民館西里分館。シニア部3名(*1)+青年部1名(♂)(*2)。
Bach中心。ダイナミクスの設定やテンポを落としての合わせなど。
マウスピースに関しては迷うところもあるのだが、当面現状のままいくこととする(*3)。
時間が少しあったので予定外のDebussyも。以前よりは表情付けができそうな印象(*4)。

往復の車中でシューベルト。C-Durのシンフォニー。D944(*5)。ムーティ/ウイーンフィルによるディスク
特にウイーンフィルに対して思い入れはないとおもっているのだが、このような演奏を聴くと、ああこのひとたちは、自分たちの言葉で語ることができるのだな、などと納得するような気がする(*6)。
あと、近年シューベルトのいくつかのピアノ・ソナタや弦楽四重奏・五重奏に親しんできた耳で聴くと、このシンフォニーにもこれまでとは違った感触をおぼえる(*7)。

夕方、ニョーボと立田山へ。山の神のところの大きなもみじの木、イマイチ紅葉していない。


(*1)T、S藤、わたし。
(*2)青年部員は男女各1名ずつ。1人は20~21くらい。もう1人は18~19くらい。
(*3)極単純にいうと、音の響きがよい方がいいか、カルテットでやったときに輪郭が明確になる方がよいか、ということ。もちろん、そこまで話は単純なものではないのだが。
(*4)ま、気のせいかもしれないのだが。
(*5)通称「グレイト」ってアレ。
(*6)具体的にいえば、旋律だけでなくいわゆる伴奏の隅々までに、これはこういうことだ、というある種の必然を感じる、というわけ。その結果として、なんだか血が通った、活きたものをその音楽を通じて感じるのは、類型的な、短絡的な思い込みによるものか?
(*7)具体的にいうことは難しい。断片的に、タッチと、構造と、輪郭、とでもいおうか?構造、といえば、例示の曲と同様にこの曲でも第1楽章の提示部をリピートで繰り返す、などといったことが楽譜に記載されているのだが、そのとおりにやっている例はそう多くないとみている。リピートしなくても50分くらいはかかる長い曲だから判断としてはありえるのだが、どうせだったらやってもらいたい、というのが人情。で、この演奏では、第1楽章だけでなく、第3楽章、第4楽章のリピートも律儀にやってくれている。その結果として演奏時間は約60分強。これでこそ「天国的な長さ」。なお、同じ顔合わせで20数年後に演奏している映像があるのだが、こちらでは残念ながら第3楽章と第4楽章のリピートは省略されている。

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先日と同様の、またしてもどうしてもタイトルをおもいつかない事態に、自らの枯渇を感じたりもするのだが、それはともかく行き先としてはその先日とほぼ同じ。

11月10日(木)。
用ありて高速バスで福岡へ(*1)。小雨。

新天町倶楽部で昼食後、まずはBorderline Records 福岡本店へ。久しぶりなもので若干道に迷う。レコードとCDを物色。高橋悠治による武満徹「Miniatur III」The Stalin「Fish Inn」オリジナル盤(*2)といったレコードが気になったが、購入に至らず(*3)。CDは特に印象に残らず。

それからGroovin' 福岡店へ。同様に物色。こちらの方がなんとはなしに楽しい。インマゼール/ベス/ビルスマによるシューベルトのいわゆるピアノトリオ集のディスク(*4)とXTC「Nonsuch」(*5)のCDを購入。

その後Read cafe(*6) へ。本読みながらコーヒー飲み。店に置いてあった(*7)山田詠美「ぼくはビート」から、"X-Rated Blanket"と"You Know Who"の2編を。肉体と、快楽と、そしてそれらと切り離せないながらもそれだけでは収まりきれない感情があふれる世界を堪能。それから持参した「図書」10月号(*8)など。

天神へ戻る。タワーレコード立ち寄り。今度こそカルミナ・カルテットのドビュッシー/ラヴェルを(*9)、とおもえど、それではなく、「The Chicago Symphony Orchestra Trombones Vol.2」を購入(*10)。

アクロス福岡へ。この日の用件。九響定期(*11)。マーラー9番。
おそろしく複雑で、入り組んだ、巨大な音楽。道を辿っていると、途中で風景が激変し、ほどんどその道を見失いそうになるところも。1楽章から3楽章まで、それぞれタイプが違いながらも同様に複雑な、ある種の混沌の中にありながら、4楽章に入ると突然、見通しがよい、そして強い感情を伴う世界へ。そこに混沌はない。やがて感情が昇華するかのような静謐な世界へ。そして消え入るように終わる。
約100人くらいのプロフェッショナルが束になって全力で向かう音楽には強く訴えかける力がある。トロンボーンの観点からみると、pppくらいの、繊細なハーモニーワークから、fffくらいの音の壁のようなものまで、幅広く複雑で膨大なものがそこに求められているように感じる(*12)。

天神バスセンターが入ってるビルの地下で、焼魚定食と生ビール。鯖が油っぽいのだが後悔役に立たず。
また高速バスに乗って帰る。


(*1)11月5日以来。つまり、一週間経ってない。
(*2)ビル・ラズウェルによるリミックス盤じゃないやつ。どう違うのか一度聴いてはみたい。
(*3)特に高橋悠治による武満。裏ジャケット記載の、本人によるライナーノーツに強く惹かれるものがあったのだが、g後日、自宅のCD棚をたまたまみてたら、同じようなのがそこにあるではないですか。ジャケットも同じだし。もちろん解説も"Garden Rain"など、レコードには収録されてなかった曲も入った、ある意味お得なディスク。まったく、なにやってんだか。
(*4)ピアノ(このディスクではピアノフォルテ)とヴァイオリンとチェロ、という編成による、D898 B-Dur とD929 Es-Dur の2曲。シューベルトの晩年の作品には惹かれるところがあるのだが、これらの曲はほとんど聴いたことがなかった。ちなみに980円。
(*5)'92年(だったのか)リリース。「Oranges & Lemons」('89)までは一応ある程度押さえていたが、今作品以降は聴いてなかった。504円だったのだが、なんでだろう?英Virgin盤でなく、米Geffen盤だから?
(*6)「書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)」が手がけるブックカフェ、ですと。
(*7)古書。販売もされている。値札付いてたけど、いくらだったか失念。
(*8)この日からやっと。まだ11月号まで追いついてない。
(*9)(*1)と同様、11月5日分を参照いただきたい。
(*10)近年、Trombone Quartet のディスクにすっかり関心が薄れてきているので、ある意味珍しい選択。ポイントとなったのは、Edward Kleinhammer 氏がメンバーという点。
(*11)詳細は以下のとおり。
*****
九州交響楽団 第313回定期演奏会
日時:2011年11月10日(木)19時開演
会場:アクロス福岡シンフォニーホール
曲目:マーラー 交響曲第9番 ニ長調
指揮:秋山和慶
(*12)そして、プレイヤーたちはそれに応えていると感じる。その響き、レスポンス、フレージング、その他諸々のものは、レッスンで常日頃指摘されていること全部ができないとあのようにはならないのだな、とあらためて認識。師匠すばらし。ちゃんと練習します。はい。

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ひさしぶりに、どうしてもタイトルをおもいつかない事態となる、と書いておきながら、タイトルがおもいつかない、といった方が一般的なのだろうか、と考えること自体に違和感を感じる不自由なわたし。

11月5日(土)。
この日午後、ひさびさにレッスン(*1)のため、高速バスで福岡へ(*2)。
どうも天神あたりが都市高速降りるあたりから渋滞しているらしく(*3)、ルートを変更して博多駅に先着するとのこと。ああそういうこともあるのね。
博多駅のバスセンターに到着すると、天神あたりは渋滞しているから急ぐひとはここで降りるように、と運転手からのおしらせ。時間は12:30。レッスンは13:30から。まぁ間に合うだろう、とおもえど、念のため降りて地下鉄でいくことにする。
んで、降りて、博多駅の地下街でコーヒーでも飲もうかとウロウロしてたら、小さなレコード屋があるではないですか。
吸い寄せられるように中に入る。
あれこれのジャンルの、CDとレコード。どうやら中古盤と輸入盤(*4)。
ザックリみてたら気になるCD。Arditti String Quartet の Berg(*5)。輸入盤の新品。かなり惹かれながらも、これ持ってたかも、とおもって一旦は店を後にするのだが、途中で、あれは Webern だった(*6)、とおもいだして引き返し、購入(*7)。

地下鉄で赤坂へ。

レッスン。
必要なのはあれこれあれど、根本にあるのは、響きの意識。息の流れ。あと、音楽。その上にいろいろなものが重なってくる、といった様相。ああまたやっていかねば(*8)。
それにしても、息、足りない。

終了後、タワーレコード福岡店に立ち寄り。カルミナ・カルテットによるドビュッシー/ラヴェルのカルテットに惹かれるが、この日は見送り(*9)。あと、スミス箱もあるのだが、これは別の機会に(*10)。

疲労してそのまま高速バスに乗る。


(*1)4月23日以来なので、ほぼ半年ぶり。その間サボっていたのではなく、業務の都合で楽器自体ほとんど吹けなかった、というのが実情。なんだか言い訳のようだが。
(*2)九州新幹線が熊本まで開業後、まだ乗ったことがない。理由はあれこれあるが、わたしの自宅からだと高速バスのバス停が比較的近く、天神到着がJR利用の場合と比較して早い、というのが最大のもの。もっとも、渋滞リスクはあるのだが。
(*3)土曜だからかねぇ、などとおもっていたのだが、どうやらその日、プロ野球パリーグのチャンピオンシリーズなるものの、ソフトバンク対西武戦をヤフードームでやってたらしい。で、ちょうどソフトバンクが勝てば日本シリーズ出場が決まる、という段階だったらしい。そうか。しらなかった。
(*4)わたしのこのみのパターン。
(*5)ジャケットがちと違う。残念ながらこっちの方が好み。
(*6)ジャケットも同じ。
(*7)1,200円くらいの価格がついてるが、さらに20%引きとか。買価900円台。いいのかそれで。
(*8)とはいえ、できるような状態となったのだ。そういうことにしよう。
(*9)その週のうちに九響定期を聴きに再度福岡にくる予定となっており、その際にでも、という打算もあり。
(*10)店頭の国内盤が10,000円(8枚組だからこれでも充分お得)なのだが、ネットの輸入盤ではそのほぼ半額なのである。

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«結果的に、各種リハビリ、といった様相。