必然的に声として響くべきことば。

10月14日(土)。
13人探すか。
それともわたしひとりで多重録音するか(*1)。

Img_5589 (*2)


(*1)「十四人以上の人物が同時に唱ふべき」とされていることから、原則としては前者によるべきと考える。されど諸般の制約により、また、個人的な関心からしても、後者によるのも魅惑的だとおもう。なお、「同時に唱ふべき」からして、この14行の各行を1パートと捉えて、14パートを同時に唱える、ということとなるとおもうのだが、各行の文字数が統一されている(とはいえ、14行目だけが1文字足りないのは如何ともしがたい)ことから、基本的には同時に唱えはじめて同時に唱え終わるという、というやり方がよいのではないかと考える。また、各行を音律の観点からみると、(1)5音×3回:1行目、4行目、10行目 (2)3音×5回:3行目、7行目、8行目、9行目 (3)1音×15回:2行目、6行目 (4)7音+6音(これを(3音+4音)+(3音+3音)ととらえる方法もあるかもしれない):5行目、13行目 (5)8音+7音(これを(4音×2)+3音+4音ととらえる方法もあるかもしれない):11行目、13行目 (6)それ以外:14行目 とグルーピングできるのではないだろうか。そして、一定のテンポの下に、グルーピングした各音律を意識しながら唱えると、ある種の音律的傾向の組み合わせが認められることばの塊、そして声の塊となって立ち現れるのではないか。だとすると、指揮者がいるとやりやすいのかもしれない。あと、「同時に唱ふ」るうえで、それぞれのパートの声質は全部違うことが望ましいと考える。特に文字だけでみると全く同じものである3行目と7行目、あるいは5行目と13行目などが。その点では、「ひとりで多重録音」のハードルが高くはなるのだが、うまく違いが出せればそれはかえって強力なものとなるような気がする。いずれにしても、ここに書かれている言葉は、声に出して唱えられることを求められているものであり、その響きをその文字の中に内在しているもの、といえまいか。
(*2)草野心平詩集(入沢康夫編 岩波文庫)P44〜P45より引用。わたしはここ数ヶ月間、いろんなひとたちの様々な詩のことばにどうやら惹かれ続けている。


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事実としては。

10月10日(火)。
秋に熊本から出なかったのはおおよそ20年ぶり(*1)(*2)。

(*1)1997年の今治から2016年のまつやままでずっと。なお、1999年の上越は個人参加。
(*2)あのときは30歳だったが、いまでは50歳となった。

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時間も空間も何もかも飛び越えて降りかかる。

6月18日(日)。
中原中也「在りし日の歌」を少しずつ読んでいる(*1)(*2)。
率直に、その世界の時間的な距離を感じる(*3)ことはあるのだが、そんなものどうでもいい、といったところも、どうやら、あるらしい。

例えば、「春」という一編(*4)。

第一連である種の空間的な解放感を味わって(*5)油断していると、第二連後半あたり(*6)で、ページの奥からこちらへ向かって射してくる強い光に見舞われてしまう(*7)。
そして、第三連と第四連のそれぞれにおける、句読点や動詞の一部を微妙に変えての繰り返し(*8)は、なんだか、ロックのようだ(*9)。

なるほど。いわゆる中也ファン、なるひとたちがいるというのもむべなるかな。
されどそちらには引き寄せられないぞ、踏みとどまるぞ、などと、意味不明な決意を固めていたりもする(*10)。


(*1)たまたま、夕方渋滞を回避するために迂回した際に通りがかった古本屋についつい立ち寄った際に見つけたもの。昭和13年に創元社(お、一発変換!)から刊行されたものが昭和48年に(財)日本近代文学館により復元されたもの、らしい。函入。
(*2)文字を目で追いながら、声に出して読んでみるのだが、なんせ旧字旧仮名遣いで書かれているものなので、率直に読めない箇所がある。そのような場合は仕方がないので、他のテキストー例えば「青空文庫」に所蔵のものーにあたってみると、ふりがなによってなんとか読めることもある。
(*3)遠い昔のことと感じる、あるいは単純に、時代の違いを感じる、ともいえよう。旧字旧仮名遣いで書かれていることが拍車をかけているところもある。まあ、書かれてから90年以上の時間が経っているからやむを得まい。
(*4)全文はこのようになっている。
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(*5)もっとも、「瓦屋根今朝不平がない、」というのはイマイチよくわからない。
(*6)「むかし私の胸摶(う)つた希望は今日を、/厳(いか)めしい紺青となつて空から私に降りかゝる。」の箇所。なお、括弧内は「青空文庫」に所蔵のもののふりがなに依る。
(*7)それは光ではなく、音であったり揺さぶる振動であったり、つまりある種の波動であり、それがまさにわたしにも文字どおり降りかかるように感じる。そしてそれは、時間も空間も何もかも飛び越えてまっすぐにこちらへ降りかかってくるものなのだ。
(*8)「――薮かげの、小川か銀か小波か?/薮かげの小川か銀か小波か?」と「一つの鈴をころばしてゐる、/一つの鈴を、ころばして見てゐる。」の箇所。
(*9)つまり、楽曲における歌詞のリフレインを想起させる、ということ、か?具体例、となるとなかなか思い浮かばないのだが、あえてひねり出すと、英国のバンド、RIDE のナンバー、"Seagull"('90)。もっともこの曲に関しては、歌詞カードに記載されている歌詞と実際に聴こえる歌詞がどうも食い違っているような気がして、イマイチ実例としては挙げにくいのだが。
(*10)ホントに意味不明。我ながら難儀。

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世界はかくも複雑に成り立っている。

6月11日(日)。
Beethoven の Op.131(*1)のレコード(*2)を、スタディ・スコア(*3)を追いながら聴いてみる(*4)。
うーん、これは凄い。
気づかないうちに何度も切り替わっていく調性(*5)、また、気づくけれど頻繁に切り替わっていくテンポや拍子。その中で、各楽器のその音楽的な役割が、入れ子状の構造の元でこれまた頻繁に切り替わっていきながら、それは全体として一つの、ある種の秩序に従って、息つく間もなく一直線状に突き進んでいく(*6)、とでもいったらよいだろうか。
すごく久しぶりに、室内楽的なもの(*7)に触れた気がする(*8)。そしてそれは、かつてほとんど憧れを通り越して嫉妬に近いほど、渇望していたもの(*9)だということをおもいだした。


(*1)弦楽四重奏曲。一般的には第14番などと呼ばれているもの。cis-moll。
(*2)Barylli Quartet による、おそらくは1950年代の録音とおもわれるもの
(*3)ヘンレ版。
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(*4)そういうことをするのはいつ以来か、記憶にないほど久しぶりのこと。
(*5)特に第一楽章で顕著。
(*6)この曲は全体で7つの部分ーいわゆる、楽章ーから構成されているのであるが、それぞれの間に複縦線はあっても終止線はない。つまり、切れ目なく続いていく。とはいえ、LPレコードだと収録時間の都合上、どこかで切れ目を作って裏返さなければならない。この盤においてその切れ目は、第4楽章と第5楽章との間に設定されている。
(*7)わたしにとってそれは、単なる主従関係のような単純な構図ではない、もっと相関した、複雑なものであるということを意味する、のだろうとおもう。
(*8)そしてそのようなものに触れると、世界がそうそう単純ではなく、複雑に成り立っていることにふと気づくことがある。それで日々の日常をなんとかやり過ごすことができることも、おそらくはあるのだ。そういうことでよいのか?という疑念をどこかに抱えつつも。
(*9)自分の手でそのようなものに直接触れることは、もう諦めた。


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あの夜、揺れた。

12月14日(水)。

仕事して帰る夜道
被災地の村をゆく
あの夜
うちあたりと同じように
このあたりも揺れたのだ
ただし
こっちの方がずっと暗い
季節こそちがえど
あの夜
この静かな
暗い闇の中で
揺れたのだ
そして次の夜
もっと静かな
もっと暗い闇の中で
もっと
揺れたのだ
家が
揺れたのだ
山が
揺れたのだ
川が
揺れたのだ
森が 田が 畑が 道が
そして
見えない中で
崩れたのだ
割れたのだ
落ちたのだ
壊れたのだ 壊れたのだ 壊れたのだ

季節こそちがえど
8ヶ月が経ったのだ
あの夜から

たくさんの
壊れたものを見てきた
そして
たくさんの
どうしようもないものが
壊し尽くされるのを見るようになった
この数週間で
うちあたりの
たくさんの
見慣れた家々が
見慣れない家々が
更地となった

わたしもまた
壊れたのだ
わたしもまた
壊し尽くされなければ
ならないのか

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被災地のピアノ。

10月15日(土)。
あの震災から半年になる(*1)、というので、ここ数日間TVで関連・特集番組が放送されている(*2)のを、いくつかみる。
いろいろあれど、その中から、ひとつだけ。

NHK-GTVの「週刊ニュース深読み」。この日は益城町から生放送(*3)。
その中で紹介された、御自宅でピアノ教室をされていた女性の方のケース。
「前震」の翌日はまだ一応無事だったピアノが、さらにその翌日未明の「本震」により壊滅的な被害を受けた家屋の壁を破って外へはみ出している。
その一連の映像をみていて、パッと思い浮かんだのは、芥川龍之介の小品「ピアノ」(*4)。
あの、いわゆる関東大震災の後のある秋の日。横浜の山手にある廃墟の町を通りがかった「わたし」がみつけた、とある家の崩れた跡地に「半ば壁にひしがれた」ままで、秋の雨に「つややかに鍵盤を濡らしてゐた」ピアノと、その、聴こえるはずがない音をめぐる話。

そのケースとこの話に共通するのは、震災の後のことであること。そして、崩れ落ちた家と、そこから外にはみ出してしまったピアノ。そのくらい。場所も、状況も、時代も、いろいろなことが異なる。むしろ、ほとんどのことが異なっている。

それでも、これらのシーンと話との間にどこかに似通った、あるいは共通したものを感じてしまうのだ。
この話を最初に読んだとき(*5)に感じ取った「リアリスト」の抒情は、わたしも体験してしまったあの震災によって多少は変質したのかもしれない。
なにしろ、わたしがいまいる場所と文字どおり地続きとなっているところで起こった、あの家庭を襲った災禍は、わたしとは決して無縁なものではない。家が崩れてピアノが壊れて何もかもグシャグシャになってそれらが外に晒されてしまういうことは、わたしの家庭にも起こっていたかもしれないことなのだ。
あの震災の前と後では、そのリアリティがあまりに違う。
それでも、「わたし」が聴いた「誰も知らぬはずの音を保ってゐた」ピアノの音。そして、番組の中で紹介された、修理復元されたアップライトピアノ(*6)(*7)の音。それらにはどこか似通った、あるいは共通したものがあるかのように感じた。

どこか似通った、あるいは共通したものとは、何なのか?
それは、音によって想起されるある種の抒情であったのかもしれない。
それが聴こえるものであったにせよ、聴こえないものであったにせよ


(*1)いわゆる「平成28年熊本地震」。今年4月14日の夜に起こった「前震」と同じく16日の未明に起こった「本震」から起算してのこと。
(*2)一例をあげると、NHK-Gテレで8:30から放送されている「あさイチ」。10/13(木)は阿蘇市から10/14(金)は西原村からそれぞれ生放送されたという。
(*3)どうやら、(*2)と合わせて3日間連続現地から被災地から生放送。
(*4)ここでこの注記を参照された方には、まずは原文を読んでからこの先を読まれることをオススメする。わたしは長いことこれを、芥川が実際に体験したこと、として読んでいたのだが、実はそうではなく、短編小説なのかもしれない、ともおもっている。というのも、筑摩書房「近代日本文学」第23巻「芥川龍之介集」に掲載されている本編の末尾には、「(大正十四年四月)」と付されているから。いわゆる関東大震災が起きたのは大正13年9月。「或雨のふる秋の日」と「去年の震災以来」からすると、震災の翌年春にこれを書いているというのは時系列的に多少の無理がある。とはいえ、フィクションかノンフィクションかは大した問題にはならない。それにしても芥川って、つくづく文章が巧い。
(*5)このときのことは、2011年4月5日分に書いている。
(*6)実は紹介された方のピアノは2台あった。壁を破って外にはみ出していたのはグランドピアノ。それはさすがに修復が困難なようだった。
(*7)このピアノのことを、その女性の夫である男性は、何もかも失った中で残った唯一の希望の光だ、というように話した。そう、ピアノは光なのだ。

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ねことイノシシ。

9月12日(月)。
通勤時、駅(*1)から北向きの郊外方面へ上る道路を走行中、数十メートル前方に道路を向かって右から左に横切ろうとするねこの姿を認識する。
速度を落とし、横断が完了するのを待つ(*2)。

それから約15分後。
峠に向かう山道(*3)を走行中、突然前方に道路を向かって右から左に横切るイノシシの姿を覚知する(*4)。
驚愕してブレーキをかけようとするも、ペダルの切り替えがなぜだかうまくいかず(*5)。
その一瞬の間に、イノシシは無事横断を完了したのかみえなくなる。
もう少し遅かったら轢いたのかもしれないし、さらに遅かったら側面に衝突されたかもしれない(*6)。

危険は日常の思わぬところに現れるものであるらしい(*7)。


(*1)JR肥後大津駅。熊本から大分方面へ向かう豊肥本線の電化区間の終着駅。その先は大分県内のどこかの駅までディーゼル区間なのだが、4月の震災により発生した大規模な斜面崩壊などにより線路が完全に途絶したことから、肥後大津駅〜阿蘇駅間の列車は完全に運休している。ちなみに、自宅最寄りの駅ではない。
(*2)その際車内においては、聞こえないのことは充分承知のうえで、ねこに対し、そういうところを歩いていると危険である、というような趣旨のことを言っている。実際にどのように言ったかに関しては、明らかにすることができない。
(*3)二重の峠(ふたえのとうげ)へ向かう県道菊池赤水線。これまた(*1)で言及した斜面崩壊によりわたしが通勤に利用していた国道57号は完全に崩土に埋まってしまったり路肩が崩壊してしまったりしたし、迂回路で利用することもあった阿蘇大橋は崩土の重さに耐えかねたのか落橋して谷底へ消えた。その他のあちこちの道路にもヒビ割れ、路肩崩壊、橋梁のズレなどが発生して、要するに、それまでの通勤経路が完全に断絶した。そのため、最も近距離なルートが、この二重の峠を越えて阿蘇市赤水方面へ抜ける道路、ということとなった。二重の峠へ至るルートは、熊本市内方面からだといわゆるミルクロード(県道北外輪山大津線)を通るか、少々遠回りで狭い道だが県道菊池赤水線を通るかのいずれかしかない。大型車も通行し通行量が震災前の数倍となったため日常的に渋滞が発生するようになった(朝6時半には既に渋滞、というのはどうしたことか)前者よりも、狭い山道ではあるが大型車が通行できず通行量が比較的少ない後者を選択する方が比較的に所要時間の予想がつきやすいため、わたしはそちらを利用している。
(*4)大きさとしては、大きい、とまではいかないにしても、いわゆるウリ坊ほど小さくもなかった。スクーター程度の大きさ、といったところか?
(*5)どうやら、足先(というか、靴先)がペダルのどこかに引っかかったものとみられる。オートマ車だし、やはりブレーキペダルを左足で操作した方が安全、なんだろうか?
(*6)現在の職場における以前の同僚が、勤務中、右側面からシカに衝突されたことがあったらしい。シカはそのまま立ち去るという、いわば当て逃げ状態だったと聞く。車は結構な被害を受けたらしい。その話を思い出したのは、その車種がわたしのクルマと同じものだったこととも無関係ではあるまい。
(*7)それは別に通勤に限ったことではないのだが、とりあえず、明日の通勤に若干の不安を感じている。

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たぬたぬさん。

8月23日(火)。
夜、庭に出てると車の下からきらりん。
すぐわかる。それはねこだ(*1)。
しかし、なぜそこに。

きらりん。

みたところ、体の色はグレーっぽい。そして、顔のある部分やしっぽあたりが濃い茶色のようである(*2)。
シャム猫を疑うも、そこまで優美ではない(*3)。

あなたはどなた?

返事はない(*4)。

あなたどこのひと?

返事はない。

間合いを測り、小走りに去ってゆく(*5)。

たぬたぬさん(*6)。

あれこれして家屋裏にまわると、そこでもきらりん。

たぬたぬさん?

返事はない。

そしてまた去ってゆく。


(*1)厳密にいえば、ねこの眼だ。ふたつある。きらりんと光るのは、わたしがヘッドランプを点けていたことと無関係とまではいえまい。
(*2)もっとも、ヘッドランプを点けるほど暗いため、実際のところはよくわからない。しかし少なくとも、赤かったり青かったりするものではなかった。いや、そもそもそんなねこをみたことはないのだが。明るいところでも。
(*3)これはルックスというよりも、しっぽが短いことによる印象かもしれない。
(*4)ねこの反応として、まったく理不尽なところはない。
(*5)ねこの行動として、まったく理不尽なところはない。
(*6)その姿からたぬきを連想したため。しかし思い返してみると、アライグマではいけなかったのか?あるいはレッサーパンダではダメだったのか?まあしかし、あらあらさんとかれされささんなどというのも如何なものか。ちなみにかなり以前、夜、自宅付近で一組のたぬきが縦一列になって向こうから走ってきてすれ違って去っていくのに遭遇したことがある。もう一匹いたらジェットストリームアタックだったのに。

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こわれつづける。

8月16日(火)。
一見、些細なものではある。

最近、ふとみあげた自宅の壁面に、小さなヒビ割れを発見(*1)。
これには見覚えがない(*2)。
たまたま別件でやってきた住宅会社のひと(*3)に尋ねてみる(*4)と、やはり見覚えがないらしく、一連の余震によってできたものではないか、とのこと(*5)。
ただ、直ちに何らかの対応を必要とする程度のものではないらしい(*6)。
とりあえず、様子見、か(*7)。

あらためて、地震災害は現在も続行中であることを、実感する(*8)(*9)(*10)。


(*1)2ヶ所で発見したのだが、窓の角から斜め上方向に、1㎜に満たないー事業損失の調査書だったら「髪の毛程度」とでも記載されるようなレヴェルのー細いクラックが走っている、という点で共通している。もっとも、もっと被害が大きかったところのひとから、その程度か?とでもいわれようものなら、なんとも返す言葉はない。
(*2)地震保険の調査のときにも確認されたなかった。
(*3)一連の地震災害により、わたしの自宅に関しては、まずその基礎の地盤が最大で約20cm程度沈下した。自宅建築の際、調査により地盤が軟弱であることが判明したため、支持層まで杭を打設し(全部で36本。深さは最大で約12mにも達した)、その上に基礎を作っていたことが奏功したのか、住宅本体にはさほど損害はみられなかったのだが、周辺の地盤が沈下したことに伴い、自宅周辺に埋設していた各種配管ー特に排水ーの断絶、水道のコンクリート製洗面台(のようなもの)の破壊、コンクリートをならしてその上に設置していた温水器・給湯器の倒壊、といった被害を生じた。そのため、その復旧工事の内容としては、各種配管の取り替え、コンクリート構造物の再製作、温水器・給湯器の新品への交換、基礎下の地盤が沈下した箇所へのある種のコンクリートの注入、自宅周辺に生じた地盤の沈下や隙間を山砂で埋設、などといった工事がこれまでに進められてきた。あとは最後の行程として、建物周辺の一部の左官工が残っており、この日その打ち合わせが予定されていたもの。
(*4)尋ねたのは妻。わたしはそれを妻から又聞き。
(*5)いわゆる「余震」は現在も続いている。直近で大きいものは8月9日夜に観測された最大震度4のもの。震源はわたしの自宅から約16km程度南に位置する深さ約10kmのところと推定される。自宅付近ではおそらく震度2。
(*6)外壁のパネルの直下には防湿シートが貼ってあるので雨水の浸透による影響は受けないだろう、と。気になるのであれば、部分的な塗装や一部パテ埋めして塗装、といった方法もあるが、塗料が現在の外壁塗装に使っているものと同一にはならない(塗料のロットの問題、など)ため、目立つことにはなる、と。当然ながら、全面の塗装をやり直せば均一となって目立たなくはなるだろうが、費用が多額になる。しかも昨年塗装工事を実施したばかり。足場の設置を必要とする工事には相当な費用がかかるということを、その際強く実感している。
(*7)ただ、見積はとってみようかと。
(*8)この日も、未明、寝てるときに地震を感じる。そう大きなものではなかったが、横揺れ型のもの。どうやら2回あったらしいが、1回しか覚えてない。ちなみに、熊本ではここ数ヶ月、下から突き上げるような直下型と、横にゆさゆさとくる横揺れ型の、大きく2つのパターンの地震を実感することができる。低周波音に続いてミシッと揺れることもある。そんなこんなで、いま熊本県人に現地で会うと、震度や震源の位置、揺れの種類、あるいは断層との関係などについて、市井のひとびとが日常生活において普通にあれこれ会話しているところに遭遇することができるかもしれない。なんてったって、場数が違うものだから。
(*9)そもそも、災害、といったところで、地球全体からすれば、その表層で起こる数々の些細な諸変化ーそれは気象の面や地質の面で現れるものーであるのだとおもう。ただそれがそのうえで暮らす更に些細なわれわれ人類の生存に強く影響する、ということだと。今回、地震という形で現れたかようなものに、たまたまその近くに暮らすわれわれの生存は文字どおり強く揺さぶられている。いろいろなものがこわれた。有形のものもあれば無形のものもある。修復できるものもあれば、修復が難しい、あるいはできないものもあるだろう。そして地震は、また、それによってわれわれの生存が揺り動かされるのは、実はもう終わったことではない。われわれに関するいろいろなものはいまもこわれつづけている。それでもそこでなんとか折り合いをつけてひっそりとやっていくしかない。そのようなことを今回、このような形で実感した次第。
(*10)最大震度7の、まさかの2回目の、あのいわゆる「本震」から、この日でちょうど4ヶ月。

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「生き延びる」という意志。

6月4日(土)。
まだ読んでないまま手元に溜まってきている雑誌(*1)の中から「図書」を1冊手に取る。
やっと3月号だよ、などと目次をなんとはなしに眺めてみると、ふと「ロックの晩年様式」という記事のタイトルが目につく(*2)。
読んでみる(*3)。
どつやらこれは、David Bowie の追悼である(*4)。
まず、筆者が引用する歌詞のフレースがことごとくツボ(*5)。そして筆者による記述にしてもなんだか納得がいく(*6)。
このひとって、「ユリイカ」のボウイ特集(*7)に書いてなかったっけ?とおもってみてみたら、やはり書いてた(*8)。あまりよくおぼえてなかったけど。そっちも読んでみる。書いてあることの基底は共通しているんだけど、ボウイの死後まもなく書かれたらしいこちらの方が、よりストレートな、感情的なものさえ感じられる(*9)。

それにしても読んでいてハッとしたのは、かつてボウイが語ったという、「『生き延びる』という意志がロックの本質に関わっている、という認識」という箇所。
特に、「生き延びる」という言葉。
いわゆる「平成28年熊本地震」(*10)において決定的となった4月16日未明に起きたいわゆる「本震」(*11)に遭った直後。わたしが勤務先に向かわねばというので同居する妻と猫はいわゆる妻実家に避難することとした(*12)のだが、そのとき、強い地震が断続的に起きる中、われわれは身を寄せて、必ずここに帰ってくる、生き延びる、そういって自宅を後にした。
そのときの状況や心情が思い浮かんだ。そして、それが過去の終わったことではなく、現在も続いていることだということも(*13)。
わたしがそれまでそのように強く感じたことがなかった(*14)「『生き延びる』という意志」は、ボウイは常に強く持っていたのだ。そしてそれがいかなる形かで彼の作品に結実し、それにわたしは長年惹かれ続けてきたのだ。きっと。

なお、この記事の最後の方で、故多木浩二の「死の鏡」に書かれたものとして、「誰でも何人かの特別な死者をもっているものだ」「それは私の彼らについての記憶というより、彼らの死後の生というべきであろう」と紹介されている。
もしそのような「死後の生」というものがあるとしたら、ボウイが死んでしまった後でも彼に惹かれるのは、生きていた頃の彼の作品を通じて、そのような「死後の生」を感じることができるからなのかもしれない。
そういえば、ボウイが死んでしまったというニュースを聴いたとき、呆然としながら、でも頭のどこかで、これでデヴィッド・ボウイはフランツ・シューベルトと並んでしまった、とおもった。
わたしの中では。


(*1)定期購読しているのは「図書」(岩波書店)と「ふらんす」(白水社)。あと、定期的に購読しているのは「Pipers」(杉原書店)。その他、日刊の新聞も1紙購読している。読む速度が決して速くないわたしとしては、読む能力の許容量を超えているのではないかという疑いが持たれる。
(*2)まず思い浮かんだのは、大江健三郎の、出版されている限りでは最新の小説「晩年様式集」。「イン・レイト・スタイル」とルビが打たれているそのタイトルは、作家の友人でもあった作家エドワード・W・サイードの著作「On Late Style」(日本語タイトル:晩年のスタイル 大橋洋一訳・岩波書店)にちなんでいるようなのだが、そのサイードの言葉もこの記事においては引用されているという一点でいえば、あながち的外れの連想ではなかった、のだろうか?
(*3)どうやら目次には文字数の制限があると思われるが、この記事の正式なタイトルは、「ロックの晩年様式ーデヴィッド★ボウイ追悼」というもの。「晩年様式」には「レイト・スタイル」とルビが打ってある。ちなみにわたしには田中純、という筆者の名前には見覚えはない。どうやら表象文化論を専門にしているひとらしい、というのは、この雑誌の記事の末尾には、名前の読み仮名と職業あるいは専門分野の類が記載されているものであり、そこに「たなか じゅん・表象文化論」と描かれているから。
(*4)ここでは以下、「ボウイ」と記載する。ちなみにこの雑誌でボウイの追悼記事を目にするとはおもわなかった。雑誌名から推察できるとおり、少なくとも音楽誌ではないし、毎号掲載されている記事の内容からしても、意外に感じるのは相応であるとわたしはおもう。
(*5)例えば、「Rock’n’roll Suiside」における ”Too old to lose it. Too young to choose it.” 、「Star」における ”Watch me now.” 、「Space Oddity」における “Can you hear me?” (もっとも、この後には”Major Tom?” が続くのだが)、「Diamond Dogs」における “This ain't rock’n’roll - This is genocide!” そして、「Station To Station」でリフレインされる “It’s too late” 。ちなみに、ここで記載されている曲のタイトルは基本的に邦題であり、歌詞は原文であったり日本語訳であったりするのだが、わたしは一応原題と原文で記載した。
(*6)例を挙げると、「みずからのキャラクターに対するかたちを変えた「喪」の儀式の反復がボウイの作品を貫くモチーフ」だとか、「おのれが作り上げたキャラクター達を幾度も葬り、スタイルを変化させ続けることで喪の儀式を繰り返してきたボウイが、自分自身の肉体の死を間近に感じたとき、みずから先取りした『スター』としての自己の宇宙への葬送が『★』だったのだろうか。」だとか、「ボウイが行ってきたことは、1970年代もそれ以降も、ロックという方法を用いながら、その外部に出ようという激しい衝動に貫かれた運動だった。古典的完成や円熟といったものは、自己破壊に変化をみずからに強いたボウイには無縁だった。」など。あと、「”Heroes”」が括弧書きの「英雄性」に対するアイロニーを含む、といった箇所も。また、「『遺書』はつねに『新生』に向けた『遺書』なのだ。」という記述から彼のアルバム全てが『遺書』であると考えると、それは納得がいく、というものである。
(*7)雑誌「ユリイカ」(青土社)の2016年4月号は「特集・デヴィッド・ボウイ」で、いろんなひとたちによるインタヴュー、対談、記事などが掲載されていた。
(*8)タイトルは「★の徴しのもとに  デヴィッド・ボウイの『晩年様式』」。なお、ここでも「晩年様式」には「レイト・スタイル」とルビが打ってある。
(*9)「ユリイカ」の方でも「ー最後に個人的な感慨を書きつけることを許していただきたいー」と前置きしながら、「『アイ・キャント・ギヴ・エヴリシング・アウェイ』を聴きながら、いま、その『超越的』な『カタストロフィ』に引き裂かれるような、いっそ泣きたいような別れの切なさに襲われているー。」と結ばれているのだが、「図書」の方ではボウイに ー筆者は「デヴィッド」と呼んでいるがー 呼びかけて、願いをかけて、そして最後に問いかけている。「最後に、あなたに教えられたこの問いをあなたに ーCan you hear me?」と。
(*10)気象庁が命名したらしい。個人的にはいろいろと不満がある。面倒だからここでは書かない。
(*11)今回の一連の地震で一番大きかったということは事実としても、前震も本震も余震もなく、全部地震だろ、と個人的にはおもっている。
(*12)わたしの職務上、災害発生時の対応としてはそのようにする規定となっている。しかし結果的には、勤務先に通じる道路がことごとく寸断されたため、このとき向かうことはできなかった。結果的には一緒に避難することとなった。
(*13)実際には自宅が住めない状態になることはなく、避難生活は約1週間ほどで終わった。
(*14)もし人間が「前向き」と「後ろ向き」、あるいは「ポジティヴ」と「ネガティヴ」などと分類できるものであれば、わたしは間違いなく後者に分類される。

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