祭の時。

6月7日(木)。
パヴェーゼの短篇集「祭の夜」を読んでて、ふと思い出す。

祭の時。

高校2年の夏休み明け。
吹奏楽コンクールの九州大会を最後に1学年上の先輩たちが引退し、部活的には実質最上級生となった頃。
なぜだかわからないが、まず最初に、自分たちで金管アンサンブルをやろう、ということになった。
同級生の5人(*1)で。

ある日、街の楽器店に楽譜を探しに行った(*2)。
あれこれ見て、ああだこうだ言い合って、おそらくは金を出し合って、楽譜を1組、買った。
その曲のタイトルが、たしか「祭の時」(*3)。

最初の曲を、やってみた。
ファンファーレ(*4)。
されど、拍の音節がどこか独自で、なかなか合わせにくく難しい。
何度もやってみたが、最終的には断念した。
その他の曲をやったのかどうかはおぼえていない(*5)。

誰が書いた、どんな曲だったのだろう(*6)?


(*1)トランペット2人。ホルン、トロンボーン、テューバが各1人ずつ。いわゆる金管五重奏。
(*2)そう多くはなかったのだが、あの頃はまだその編成でも店頭に在庫があったのだ。
(*3)たしか3〜5曲で構成されている組曲。緑色の表紙の、いわゆるフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルのシリーズ。英国 Chester Music の「Just Brass」のライセンス版、だったのだろうか?
(*4)だったとおもう。なんせよくおぼえていない。
(*5)技術的に手を出せなかったのだろう、きっと。とはいえ、唯一やったことをおぼえているあの曲だけは、おぼえている、とおもっている。
(*6)検索してもみつからない。実は曲のタイトルを勘違いしているのだろうか?

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その声に聴き入る。

5月31日(木)。
河島英昭氏(*1)が亡くなったのはつい先日(*2)のこと。

ここ数日間、このひとの訳による、パヴェーゼ(*3)を読んでいる。
詩と短篇小説(*4)を、少しずつ。
それらは、ジャンルとしては別になるのだろうし、フォルムの違いはあるのかもしれないが、どちらがどうという区別がつきにくいような(*5)、 相通じるものがあるように感じる(*6)。

読み疲れて(*7)、河島氏の著作「イタリアをめぐる旅想」(*8)をひさしぶりに手に取る。
ただ一編、「霧の拱廊 トリーノ」を(*9)。
読んでいると、なにやら、パヴェーゼを読んでいるときと同じ声が聴こえる気がする(*10)。
そして、書き記したひとがいなくなってしまっても、その声が聴こえなくなることはないのだ(*11)、きっと。


(*1)イタリア文学者。このひとのことは過去あれこれ書いている。例えば、2006年11月14日分2007年6月30日分同じく9月2日分同じく11月19日分2010年8月19日分、あるいは2011年1月2日分の(*5)など。
(*2)5月25日。
(*3)チェーザレ・パヴェーゼ(1908〜1950)。イタリアの作家。
(*4)全6巻からなる「パヴェーゼ文学集成」の「」と「」、つまり、「詩文集 詩と神話」と「短篇集 八月の休暇」。ちなみに、この一連の本のシリーズのことは2008年9月14日分で「図書館で買ってくれないか?」と書いているが、その後ちゃんと熊本県立図書館で買ってくれた。全部貸出可。カヴァーは外してあるが本体はとてもきれい。ありがたい。うれしい。今回、「5」だけ借りてきた。なお、ここではこれ以降、「短篇小説」を「短篇」と略することとする。
(*5) 詩のような短篇、あるいは、短篇のような詩、とでもいったらよいだろうか。
(*6)たとえば、詩においては、詩集「働き疲れて」の中の、「祖先」と題されたセクションから「南の海」(1930)。そして短篇においては、「八月の休暇」の中の、「海」と題されたセクションから「名前」「八月の終わり」「玉蜀黍(とうもろこし)畑」「ラ・ランガ」「廃れた仕事」「不眠症」(1941〜1942)。これらは長さもそう大きく変わらない。前者は詩としては長いし、後者は一編あたり3〜4ページしかない。しかし相通じるもの、というのはそういうものではなく、ひとつはその仄暗い色彩。そして目で読む響き。質感。時折あらわれる、鋭くきらめくことば。それらはどこか、声のよう。そして何よりも、何か出来事が起こるわけではないけれど、その物語がわたしの内側に起こす波紋。
(*7)詩にしても短篇にしても、ひとつひとつのものは短いとはいえ、そのようなものを一度にそうたくさん読めるものではない。わたしの場合は。だって、ひとつひとつ違うもので、それぞれで別の世界に連れていかれるのだから。
(*8) 紀行文といおうか、エッセイといおうか。1980年代に、氏が以前留学していたイタリアを再訪し、いくつかの都市をめぐった際に書き記した「自分への手紙」をもとに書かれているもの。
(*9) そこはパヴェーゼのゆかりの都市だから。
(*10)それが河島英昭氏の文体、などというのかどうかはわからない。しかし、これらを読むということは、どこか、息をひそめて耳をすまし、じっとその声に聴き入ることに似ている。
(*11)もしも聴き入ることをやめなければ。

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上京してた(*1)。

4月22日(日)。
結果としては、自身の不寛容さに肩を落とすこととなった(*2)。


(*1)詳細は4/9分を参照いただきたい。
(*2)詳細は書かない。ネット上だし。とはいえ、素晴らしかったのだ。ただ、部分的なところでの不寛容さには、それを覆って余りあるものがある。わたしのシューベルトの捉え方は偏向したものでしかも狭小であるように強く感じるものであり、その後今日まで、(CDなどを通して)その音楽に向き合うことが憚られる事態となっている。ライヴにしても、わたしがノイズに対して(まあ、大音量で、高い音圧で、しかもいたのが前から3列目、ではあったにせよ)あんなに苦痛に感じるということが、率直にショックだった。とはいえ、これはずっとではない。基本的には、入念に調整された大音量は身体に直接作用するもので、それは非常に気持ちよかった。かように感じたのはある一定の時間帯のこと、ではあったのだ。

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上京予告。

4月9日(月)。
タイトルのとおり。
期間は4月12日(木)〜15日(日)。
目的は、エリーザベト・レオンスカヤによるシューベルト・ツィクルス。(*1)なのだが、たまたま同時期に重なったライヴ(*2)や展覧会(*3)にもいく予定。


(*1)4月4日(水)〜14日(土)の11日間のうち1日おきに6回の演奏会で、シューベルトのピアノ・ソナタ18曲と、いわゆる「さすらい人幻想曲」が演奏されるというもの。本当だったら6回の演奏会全部を聴きたかったのだが、当然ながらできるはずがない。それでも、仕事を2日間休んで、12日(木)と14日(土)の2回の演奏会を聴きにいくこととした。一番聴きたかったのは6日(金)の、D575、D840、D894 というものだったのだが、法事のためやむなく。
(*2) Buffalo Daughter のワンマン・ライヴ。500円プラスで限定お土産付きチケット。その内容は、本公演のために製作、未発表曲含む未発売曲収録の「完全限定生産カセット・テープ」とのこと。当然、お土産付きを購入。
(*3)イタリア文化会館で14日まで開催中展覧会「須賀敦子 没後20年」と、三菱一号美術館でただいま開催中のルドン ー 秘密の花園。もっとも、こちらのチケットはまだ入手してない。そもそも前者は入場無料だし。ちなみに、「うどん県」の県民であれば入場無料になるという。そうなのか。

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レオンスカヤ!

3月3日(土)。
レオンスカヤ(*1)が日本に来る、という(*2)。

シューベルト(*3)。
しかも、ツィクルス(*4)。

聴きにいきたいのはやまやまだが、当然ながらそうそうとはいけるものではない(*5)。


(*1)エリーザベト・レオンスカヤ。ピアニスト。ジョージア(といっても個人的にはグルジア、と言われないと米国のジョージア州と区別がつかないのだが)生まれ、だという。
(*2)正確にいえば、東京に来る、ということとなるのだろう。まあ間違ってはいないのだが。東京だけが日本、というわけでもないのだろうし。
(*3)このひとのシューベルト演奏をはじめて聴いた(生ではないけど)のは、マティアス・ゲルネ(バリトン)による歌曲集CD12枚組。共演ピアニストはこのひとをはじめ、クリストフ・エッシェンバッハ、ヘルムート・ドイチェ、エリック・シュナイダー、インゴ・メッツマッハー、アレクサンダー・シュマルツ、アンドレアス・ヘフリガー、の計7人。中でもこのひととの共演のディスクは大変素晴らしく、強く印象的なものとなっている。家庭内での評価も非常に高い。ちなみに、12枚組のうちの1枚は、いわゆる「3大歌曲集」で共演するエッシェンバッハ(このひととはブラームスの歌曲集でも共演している)によるB-Durの最後のソナタ(D960)で、一切歌曲は入っていない。
(*4)4/4(水)から4/14(土)までのうち6日間(1日おき)で18曲のピアノ・ソナタといわゆる「さすらい人幻想曲」を演奏する、というもの。さすがは東京。ちなみにこのひとによるシューベルトのソナタの録音、といえばあれこれあるようだが、近年リリースされた後期8曲のソナタが収録されたCD4枚組(と、リヒテルとの連弾によるモーツァルトなどが収録されているDVD1枚)のセットがこれまた実に素晴らしいもの。ちなみにこのセット。LPレコードのジャケットよりも一回り小さめの写真集、といった体裁。このひとの幼少の頃から近年までの写真やインタヴューなどが収録されている豪華版。CDの価格が(その価値以上に)下がっている昨今の状況下にあって約10,000円、という価格にかなり二の足を踏んだ(リヒテルの10枚組とどちらにするか相当迷った)が、結局購入。ちなみに(*3)のゲルネ他のディスク、わたしは約4,200円弱で購入。何かがおかしいのではないか?
(*5)とはいえ、こういうものがそうそうあるものでもない。仕方ない。いくこととした。一昨年の5月、家族旅行を組み込んで、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでピエール・ロラン・エマールによるメシアン「鳥のカタログ」からの抜粋の3回中2回のプログラムを聴きにいくことにしていたのだが、あの震災(いわゆる「熊本地震」)のため断念した、ということがあった。そのときのリベンジ、と考えればそれもまた故なきことではないだろう。本当は、大好きなD894(G-Dur)とこれまた大好きなD840(C-Dur)が一度に聴ける4/6(金)のプログラムを聴きたかった(それをいうなら6回のプログラム全部を聴きたいのだ)が4/8(日)に法事があるため断念。代わりに(というわけではないが)4/12(木)と4/14(土)の2回のプログラムのチケットを押さえている。前者はD784(a-moll:この曲の第2楽章はこれまた大好き。短いけれど。)とD959(A-Dur)、後者はいわゆる「さすらい人幻想曲」とD960(B-Dur)をそれぞれ中心としたプログラム。ということは仕事を2日ほど休まねばならぬ。新年度早々できるのか?そもそも定期人事異動に引っかかって仕事が変わるかもしれないのに、などといっても仕方がない。もう航空券も宿泊先も押さえてしまっている。ちなみに今回も家族旅行を組み込み。リベンジだ。そう。

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Dans huit jours.

2月10日(土)。
あれ(*1)からちょうど一週間。
毎日泣き暮らしているかというとそうではなく。
家の中や外のあれやこれやが目に入ってはその在りし日の姿と結びつき、そしてもうどこにもいないことをその度毎に思い知るのだが、さりとてそれを受け入れられないかというとそうでもなく(*2)。

その間、気づいたことが二つあった。

一つは、「存在」と「不在」。
たしかに、そこにいることはある意味当然のことだった。そして、今やそれは当然のことではなくなった。
それはもちろん、「いる」に対して、その否定形としての「いない」、ではある。
されど、「いない」ことはおそらく、「いる」を基準とした状態ではなく、それ自体が一つの基準となる状態っていくのであろう(*3)。いつしか。

そしてもう一つは、「時間」と「変化」。そしてそれらと結びつく「記憶」。
たしかに、強く印象に残っているのは、最近のことであるし、最近のあのひとの姿ではある(*4)。
ただ、折に触れて思い出すのは、以前の、もっと元気だった頃の様々な物事であり、その頃の姿でもある。
それらは当然ながら長い時間の中でのことであり、変わりゆくものであった。
そしてその記憶もまた、変わりゆくものなのであろう。おそらく(*5)。

ともあれ、連日静かに過ごしている(*6)。この一週間の間は。


(*1)2月3日分を参照されたい。
(*2)おそらくそれは、あのひとが一般的な猫の寿命を超えて長く生きて ー なんせ19歳くらいだったのだから ー 、そして病気だったにもかかわらず、最後までひどく苦しまずにすんだ ー 歩けなくなっていわゆる寝たきりになったのは最後の1日だけだった ー ことと無関係ではあるまい。
(*3)"presence" と "absence" のように。
(*4)痩せ細っていた。それは加齢によるものでもあり、病気によるものでもあっただろう。病院で最後に体重を測ったとき ー それは死んでしまう前日のこととなったのだが ー ほぼ1.5kgだった。ちなみに、若く元気な時には4.5kgくらいはあったと記憶している。
(*5)ノートパソコンのハードディスクの中に保存している写真をみていたのだが、2009年、つまり今から8〜9年前の姿が実に元気そうなのである。記憶していた以上に。そしてまた、一緒に写っていることもあるわたしや妻の姿もまた、率直にいえばいまよりずっと若々しい。つまり、わたしたちは一緒に暮らしながら、同じように ー 一様に、ではないにせよ ー 時間の影響を不可避的に強く受けていた、ということとなる。
(*6)きっとあのひとがそう仕向けてくれたのだろう。つくづく、物事がよくわかったひとだったから。ただ、寂しい。こればかりはあのひともどうすることもできない。

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さよならぎざ。

2月4日(日)。
朝から、晴れているかと思えば雪が激しく舞い、また晴れる、などという極端な天気(*1)。
火葬の時間は16:00からの予定(*2)。
仕事の関係で外出している妻が戻るまでの間に用事をあれこれ済ませたのだがそれでもまだ時間がある。
まずは、サークルに安置したぎざを寝室から居間に移して(*3)、そして、一緒にシューベルトを聴く(*4)(*5)(*6)。

妻が帰宅し、支度して車で自宅を出る(*7)。ほどなく到着。
車内で最後のお別れ。業者さんの案内に従って、ぎざは燃焼室の扉の向こうへ行ってしまう(*8)。

17:30頃火葬が完了する、というので一旦帰宅。2人でコーヒー飲んだりした後、少し早めに戻ってくると、既に燃焼室の扉は開かれている。
痩せて小さくなっていたぎざは、骨になってさらに小さくなっている。
小さいけれど、立派な骨の数々(*9)。
それらを小さめの骨壷(*10)に入れていく。よく晴れているけど、すごく寒い。
骨はほとんど骨壷に入ってしまう。
それを受け取って、支払いを済ませ、挨拶して帰宅。

帰宅後、骨壷にあのひとがすきだったいりこなどを供える。
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(*1)前日とは対照的。あの、穏やかによく晴れた1日を一緒に過ごして見送ることができたことが、本当によかった。
(*2)前夜、ぎざをどうするかの話を妻とする。つまり、火葬か土葬か。土葬とするにはあれこれ問題があり、火葬にすることと決定。次はどこで火葬するか。ネットで検索してみたところ、どうやら自宅から車で5分程度のところにペット訪問火葬業なるものを営んでいる業者があるという。連絡して、結局、訪問してもらうのではなく、こちらから事務所へ出向いて火葬してもらうこととなった。いや、普通はそうなんだろうけど。
(*3)前日分の(*1)以降、ぎざを以前使っていたサークルに移して安置していた。それを寝室に移して、最後の夜を一緒に過ごした、というわけ。ある種の通夜、とはいえ、寝てたのだが。
(*4)当然、ぎざが聴けるはずがないことは承知している。単に、わたしが聴きたかったものを、一緒に聴いた、としたかっただけなのだ。あのひとは物事がよくわかったねこで、シューベルトの音楽をじっと聴いていたものだから。いや、それもわたしがそうおもいたいだけなのだけど。
(*5)エリーザベト・レオンスカヤレオンスカヤによる後期ピアノ・ソナタ集のCDの中から、D840とD894。本当に聴きたかったのはD894なのだが、D840にも強く惹かれる。ただ、この曲は残念なことに第3楽章と第4楽章が未完であるため、通常第2楽章までしか演奏・録音されないようなのである。もっとも、スビャストラフ・リヒテルは完成している範囲内で演奏・録音しており、録音を聴くと途中で終わってしまってビックリする。それもまたすきなんだけど。それにしても、レオンスカヤは4月に東京でシューベルト・チクルスをするという。聴きたいが聴けそうにない。地団駄踏み。
(*6)聴きながらぎざの横顔をみていると、不意に涙が出てくる。
(*7)自宅を出る前、ぎざのサークルを抱えて、家のあちこちのぎざの居場所をまわる。これまた涙が出てくる。
(*8)その際、サークルに横たえられたぎざの脇には、病院へ連れていくときにくるんでいた妻の古いセーターや、あのひとがすきだった、だしをとった後の鰹節を乾燥させて粉にしたものなどを一緒に備えた。
(*9)中でも頭蓋骨のキバと立派な脚や腕の骨が印象的。でも、あの独特のしっぽの骨がどれかよくわからなかったのが、残念。
(*10)対人間用比。

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Elle(*1) est morte.

2月3日(土)(*2)。
先程。
よく晴れた1日の夕方の光が、次第に翳ってくる頃に(*3)。


(*1)妻とわたしはそのひとのことを、ぎざ、と呼んできた。でも、それは通称で、本当はぎざぎざしっぽ。先の方の骨がシグザグ状に曲がっているため、太いけれども長くまっすぐではない、独特な形状のしっぽを持っていたことによる。かれこれ20年ほど前に、当時住んでいた借家の隣の家にいた若い息子が近所でウロウロしていた黒い猫を家に入れるようになってしばらくして生まれた3匹の子猫のうちのひとり。ちなみに他のきょうだいのことは、茶色のキジで人懐っこかった「トラ」と、どこかすました猫らしい「その2」(妻は「2番目ちゃん」)と呼んでいた。その後、その息子が猫たちを放逐したため、母猫とふたりのきょうだいたちはブロック塀の上を歩いて何処かへいってしまった。そして、寝ていたらその上をきょうだいたちが歩いていってしまうほどどこかのんびりしてて、でも木登りが上手で運動神経が発達していたぎざだけが残されてしまい、その後しばらくわたしのところをウロウロしたりきたり去ったりしていたが、あるときうちに居着くこととなった。それからずっと一緒に暮らしてきた。いろいろなことがあった。妻とわたしとの間で諍いがあると仲介してくれた。今の家に一緒に引っ越してきたし、失踪したことも2度ほどあった。狩りが得意で、キジやイタチを取ってきたこともあった。あの震災の際は、前震のときも本震のときも一緒に揺り動かされ、1週間妻の実家へ一緒に避難した。長いこと元気で暮らしていたが、最近は高齢化や猫特有の腎臓の機能不全もあり、体重も落ちて徐々に弱ってきていた。秋頃から動物病院に定期的にかかって点滴などしてきたが、大晦日の夜にはあまりの体調の悪さのため22時過ぎに動物病院に駆け込み、翌日まで緊急入院したこともあった。退院後、一時的には体調がよくなったが、次第に弱ってきて、この週は1月31日(水)と2月2日(金)の2日間、短期入院してICUで点滴をうってもらったりしていた。そして今朝、退院して帰宅した後、ずっと妻かわたしのひざの上で過ごしていた。そして、少し苦しそうにしていたとはいえあまり長く苦しむことはなく、妻とわたしがそばで見守りながら話をしていたとき、妻のひざの上から右手がコトリと床に落ちた。それからもう動くことはなかった。いまはクッションの上に横たえて、いつも掛けてたウールの古いセーターや膝掛けをかけている。もう寒くはあるまい。
(*2)今住んでいる家に引っ越してきたのが2005年、つまり13年前の今頃(2月6日)のこと。そんなに経ったのだな。
(*3)時計をみたらちょうど18:00頃。だいぶ陽が長くなった。翌日は立春。暦の上では、冬の最後の日だったこととなる。朝から夕方まで、大きな窓際の、明るい暖かい場所でずっと一緒に過ごすことができた。そろそろ気温が下がってくるな、と暖房を入れたばかりの頃だった。

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夢と現実。

11月26日(日)。
この日の午後、トラ出演のオケの本番があり、8:30に会場に集合、ということがわかった。

気がついて、腕時計をみたら8:25。
スケジュールを確認するが、やはりそのような予定はない。

ああよかった(*1)。

そうこうしていると、外で太鼓の音がきこえる。
何?と窓の外をみると、擁壁の上の更地に白いテント。
そうやら地鎮祭らしい。
そうか、とおもって(*2)みていると、神職らしい装束のひとが横笛を吹き始める。
神事の一環のようではあるが、録音の再生ではなく生で横笛を吹くどころか、神職本人が吹いているところなど、はじめてみた(*3)。
神事の最後には、御神酒らしいものが各参加者に配られ、皆それを飲んでいるようだった(*4)。

生憎の小雨模様ではあったのだが、きっと、「雨降って地固まる」などという話がテントの中でされているのだろう。
ひとのところの地鎮祭で一緒になって祈るというのは、これまでにはなかったかもしれない(*5)。


(*1)つまりはこういうこと。どうやら夢だったらしい。しかも、数日前には1st.抜きの2人でパート練習をしたり、当時の服装同じく出演するらしいF島に確認したところ、「上下黒、って書いてあったんじゃないですか?」などといってたり、ホールは9:00に開くんだけど早めに来ていいことになっているという話があっていたりなどあれこれ手が込んでいたもの。どうやら曲目はシベリウスの2番のシンフォニーだったような気がするのだが、これは先日聴きにいった地元アマオケの演奏会でも演奏されたものである。されど、今回のものはどうやら「室内楽版のシベリウス2番」ということらしかったのだが、そんなものあるのかどうかは承知していない。どんな編成なのか?そういうところにトロンボーンは入っていけるのか?ちなみに、わたしには現在トラの話はないし、そもそもかれこれ1年ほどはひとと一緒にトロンボーンを吹いたりもしていないのだけれど。
(*2)つまりはこういうこと。そこを含む擁壁の上には従来住宅が5戸あったのだが、昨年4月の震災の後、そのうちの4戸にはひとが住んでいる気配が全くなくなっていた。そして順次解体され、更地となっていた。この住宅は昨年12月に解体されていたのだが、再建されることとなったのだろう。解体から地鎮祭まで約1年近く。残りの家々はどうなんだろうか?住んでいたひとたちは今どこで暮らしているのだろうか?売地の看板が立っている土地もあるのだが。
(*3)音と音との間の移り変わりは、基本的には運指にそってある程度明確になされていたのだが、高音域の一部ではリップ・ベンドによってある種のグリッサンドがなされていたようだったし、低音域の一部では運指ではイマイチうまくいかないのかやはりリップ・ベンドにより音程が変えられていたようだった。
(*4)なんせ距離があるもので、正確なところはわからない。
(*5)地鎮祭は一般的には建築工事が無事に済むように、という意味合いで執り行われる行事なのだろうが、今回の場合、文字どおりその土地が、率直にいえば工事完了後も激しく揺れたりしないように祈る、という意味合いが、少なくともわたしには強かった。なんてったって、擁壁の高さは推定7〜8m程度はあると見込まれるのだから。

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必然的に声として響くべきことば。

10月14日(土)。
13人探すか。
それともわたしひとりで多重録音するか(*1)。

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(*1)「十四人以上の人物が同時に唱ふべき」とされていることから、原則としては前者によるべきと考える。されど諸般の制約により、また、個人的な関心からしても、後者によるのも魅惑的だとおもう。なお、「同時に唱ふべき」からして、この14行の各行を1パートと捉えて、14パートを同時に唱える、ということとなるとおもうのだが、各行の文字数が統一されている(とはいえ、14行目だけが1文字足りないのは如何ともしがたい)ことから、基本的には同時に唱えはじめて同時に唱え終わるという、というやり方がよいのではないかと考える。また、各行を音律の観点からみると、(1)5音×3回:1行目、4行目、10行目 (2)3音×5回:3行目、7行目、8行目、9行目 (3)1音×15回:2行目、6行目 (4)7音+6音(これを(3音+4音)+(3音+3音)ととらえる方法もあるかもしれない):5行目、13行目 (5)8音+7音(これを(4音×2)+3音+4音ととらえる方法もあるかもしれない):11行目、13行目 (6)それ以外:14行目 とグルーピングできるのではないだろうか。そして、一定のテンポの下に、グルーピングした各音律を意識しながら唱えると、ある種の音律的傾向の組み合わせが認められることばの塊、そして声の塊となって立ち現れるのではないか。だとすると、指揮者がいるとやりやすいのかもしれない。あと、「同時に唱ふ」るうえで、それぞれのパートの声質は全部違うことが望ましいと考える。特に文字だけでみると全く同じものである3行目と7行目、あるいは5行目と13行目などが。その点では、「ひとりで多重録音」のハードルが高くはなるのだが、うまく違いが出せればそれはかえって強力なものとなるような気がする。いずれにしても、ここに書かれている言葉は、声に出して唱えられることを求められているものであり、その響きをその文字の中に内在しているもの、といえまいか。
(*2)草野心平詩集(入沢康夫編 岩波文庫)P44〜P45より引用。わたしはここ数ヶ月間、いろんなひとたちの様々な詩のことばにどうやら惹かれ続けている。


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