Dans huit jours.

2月10日(土)。
あれ(*1)からちょうど一週間。
毎日泣き暮らしているかというとそうではなく。
家の中や外のあれやこれやが目に入ってはその在りし日の姿と結びつき、そしてもうどこにもいないことをその度毎に思い知るのだが、さりとてそれを受け入れられないかというとそうでもなく(*2)。

その間、気づいたことが二つあった。

一つは、「存在」と「不在」。
たしかに、そこにいることはある意味当然のことだった。そして、今やそれは当然のことではなくなった。
それはもちろん、「いる」に対して、その否定形としての「いない」、ではある。
されど、「いない」ことはおそらく、「いる」を基準とした状態ではなく、それ自体が一つの基準となる状態っていくのであろう(*3)。いつしか。

そしてもう一つは、「時間」と「変化」。そしてそれらと結びつく「記憶」。
たしかに、強く印象に残っているのは、最近のことであるし、最近のあのひとの姿ではある(*4)。
ただ、折に触れて思い出すのは、以前の、もっと元気だった頃の様々な物事であり、その頃の姿でもある。
それらは当然ながら長い時間の中でのことであり、変わりゆくものであった。
そしてその記憶もまた、変わりゆくものなのであろう。おそらく(*5)。

ともあれ、連日静かに過ごしている(*6)。この一週間の間は。


(*1)2月3日分を参照されたい。
(*2)おそらくそれは、あのひとが一般的な猫の寿命を超えて長く生きて ー なんせ19歳くらいだったのだから ー 、そして病気だったにもかかわらず、最後までひどく苦しまずにすんだ ー 歩けなくなっていわゆる寝たきりになったのは最後の1日だけだった ー ことと無関係ではあるまい。
(*3)"presence" と "absence" のように。
(*4)痩せ細っていた。それは加齢によるものでもあり、病気によるものでもあっただろう。病院で最後に体重を測ったとき ー それは死んでしまう前日のこととなったのだが ー ほぼ1.5kgだった。ちなみに、若く元気な時には4.5kgくらいはあったと記憶している。
(*5)ノートパソコンのハードディスクの中に保存している写真をみていたのだが、2009年、つまり今から8〜9年前の姿が実に元気そうなのである。記憶していた以上に。そしてまた、一緒に写っていることもあるわたしや妻の姿もまた、率直にいえばいまよりずっと若々しい。つまり、わたしたちは一緒に暮らしながら、同じように ー 一様に、ではないにせよ ー 時間の影響を不可避的に強く受けていた、ということとなる。
(*6)きっとあのひとがそう仕向けてくれたのだろう。つくづく、物事がよくわかったひとだったから。ただ、寂しい。こればかりはあのひともどうすることもできない。

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さよならぎざ。

2月4日(日)。
朝から、晴れているかと思えば雪が激しく舞い、また晴れる、などという極端な天気(*1)。
火葬の時間は16:00からの予定(*2)。
仕事の関係で外出している妻が戻るまでの間に用事をあれこれ済ませたのだがそれでもまだ時間がある。
まずは、サークルに安置したぎざを寝室から居間に移して(*3)、そして、一緒にシューベルトを聴く(*4)(*5)(*6)。

妻が帰宅し、支度して車で自宅を出る(*7)。ほどなく到着。
車内で最後のお別れ。業者さんの案内に従って、ぎざは燃焼室の扉の向こうへ行ってしまう(*8)。

17:30頃火葬が完了する、というので一旦帰宅。2人でコーヒー飲んだりした後、少し早めに戻ってくると、既に燃焼室の扉は開かれている。
痩せて小さくなっていたぎざは、骨になってさらに小さくなっている。
小さいけれど、立派な骨の数々(*9)。
それらを小さめの骨壷(*10)に入れていく。よく晴れているけど、すごく寒い。
骨はほとんど骨壷に入ってしまう。
それを受け取って、支払いを済ませ、挨拶して帰宅。

帰宅後、骨壷にあのひとがすきだったいりこなどを供える。
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(*1)前日とは対照的。あの、穏やかによく晴れた1日を一緒に過ごして見送ることができたことが、本当によかった。
(*2)前夜、ぎざをどうするかの話を妻とする。つまり、火葬か土葬か。土葬とするにはあれこれ問題があり、火葬にすることと決定。次はどこで火葬するか。ネットで検索してみたところ、どうやら自宅から車で5分程度のところにペット訪問火葬業なるものを営んでいる業者があるという。連絡して、結局、訪問してもらうのではなく、こちらから事務所へ出向いて火葬してもらうこととなった。いや、普通はそうなんだろうけど。
(*3)前日分の(*1)以降、ぎざを以前使っていたサークルに移して安置していた。それを寝室に移して、最後の夜を一緒に過ごした、というわけ。ある種の通夜、とはいえ、寝てたのだが。
(*4)当然、ぎざが聴けるはずがないことは承知している。単に、わたしが聴きたかったものを、一緒に聴いた、としたかっただけなのだ。あのひとは物事がよくわかったねこで、シューベルトの音楽をじっと聴いていたものだから。いや、それもわたしがそうおもいたいだけなのだけど。
(*5)エリーザベト・レオンスカヤレオンスカヤによる後期ピアノ・ソナタ集のCDの中から、D840とD894。本当に聴きたかったのはD894なのだが、D840にも強く惹かれる。ただ、この曲は残念なことに第3楽章と第4楽章が未完であるため、通常第2楽章までしか演奏・録音されないようなのである。もっとも、スビャストラフ・リヒテルは完成している範囲内で演奏・録音しており、録音を聴くと途中で終わってしまってビックリする。それもまたすきなんだけど。それにしても、レオンスカヤは4月に東京でシューベルト・チクルスをするという。聴きたいが聴けそうにない。地団駄踏み。
(*6)聴きながらぎざの横顔をみていると、不意に涙が出てくる。
(*7)自宅を出る前、ぎざのサークルを抱えて、家のあちこちのぎざの居場所をまわる。これまた涙が出てくる。
(*8)その際、サークルに横たえられたぎざの脇には、病院へ連れていくときにくるんでいた妻の古いセーターや、あのひとがすきだった、だしをとった後の鰹節を乾燥させて粉にしたものなどを一緒に備えた。
(*9)中でも頭蓋骨のキバと立派な脚や腕の骨が印象的。でも、あの独特のしっぽの骨がどれかよくわからなかったのが、残念。
(*10)対人間用比。

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Elle(*1) est morte.

2月3日(土)(*2)。
先程。
よく晴れた1日の夕方の光が、次第に翳ってくる頃に(*3)。


(*1)妻とわたしはそのひとのことを、ぎざ、と呼んできた。でも、それは通称で、本当はぎざぎざしっぽ。先の方の骨がシグザグ状に曲がっているため、太いけれども長くまっすぐではない、独特な形状のしっぽを持っていたことによる。かれこれ20年ほど前に、当時住んでいた借家の隣の家にいた若い息子が近所でウロウロしていた黒い猫を家に入れるようになってしばらくして生まれた3匹の子猫のうちのひとり。ちなみに他のきょうだいのことは、茶色のキジで人懐っこかった「トラ」と、どこかすました猫らしい「その2」(妻は「2番目ちゃん」)と呼んでいた。その後、その息子が猫たちを放逐したため、母猫とふたりのきょうだいたちはブロック塀の上を歩いて何処かへいってしまった。そして、寝ていたらその上をきょうだいたちが歩いていってしまうほどどこかのんびりしてて、でも木登りが上手で運動神経が発達していたぎざだけが残されてしまい、その後しばらくわたしのところをウロウロしたりきたり去ったりしていたが、あるときうちに居着くこととなった。それからずっと一緒に暮らしてきた。いろいろなことがあった。妻とわたしとの間で諍いがあると仲介してくれた。今の家に一緒に引っ越してきたし、失踪したことも2度ほどあった。狩りが得意で、キジやイタチを取ってきたこともあった。あの震災の際は、前震のときも本震のときも一緒に揺り動かされ、1週間妻の実家へ一緒に避難した。長いこと元気で暮らしていたが、最近は高齢化や猫特有の腎臓の機能不全もあり、体重も落ちて徐々に弱ってきていた。秋頃から動物病院に定期的にかかって点滴などしてきたが、大晦日の夜にはあまりの体調の悪さのため22時過ぎに動物病院に駆け込み、翌日まで緊急入院したこともあった。退院後、一時的には体調がよくなったが、次第に弱ってきて、この週は1月31日(水)と2月2日(金)の2日間、短期入院してICUで点滴をうってもらったりしていた。そして今朝、退院して帰宅した後、ずっと妻かわたしのひざの上で過ごしていた。そして、少し苦しそうにしていたとはいえあまり長く苦しむことはなく、妻とわたしがそばで見守りながら話をしていたとき、妻のひざの上から右手がコトリと床に落ちた。それからもう動くことはなかった。いまはクッションの上に横たえて、いつも掛けてたウールの古いセーターや膝掛けをかけている。もう寒くはあるまい。
(*2)今住んでいる家に引っ越してきたのが2005年、つまり13年前の今頃(2月6日)のこと。そんなに経ったのだな。
(*3)時計をみたらちょうど18:00頃。だいぶ陽が長くなった。翌日は立春。暦の上では、冬の最後の日だったこととなる。朝から夕方まで、大きな窓際の、明るい暖かい場所でずっと一緒に過ごすことができた。そろそろ気温が下がってくるな、と暖房を入れたばかりの頃だった。

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夢と現実。

11月26日(日)。
この日の午後、トラ出演のオケの本番があり、8:30に会場に集合、ということがわかった。

気がついて、腕時計をみたら8:25。
スケジュールを確認するが、やはりそのような予定はない。

ああよかった(*1)。

そうこうしていると、外で太鼓の音がきこえる。
何?と窓の外をみると、擁壁の上の更地に白いテント。
そうやら地鎮祭らしい。
そうか、とおもって(*2)みていると、神職らしい装束のひとが横笛を吹き始める。
神事の一環のようではあるが、録音の再生ではなく生で横笛を吹くどころか、神職本人が吹いているところなど、はじめてみた(*3)。
神事の最後には、御神酒らしいものが各参加者に配られ、皆それを飲んでいるようだった(*4)。

生憎の小雨模様ではあったのだが、きっと、「雨降って地固まる」などという話がテントの中でされているのだろう。
ひとのところの地鎮祭で一緒になって祈るというのは、これまでにはなかったかもしれない(*5)。


(*1)つまりはこういうこと。どうやら夢だったらしい。しかも、数日前には1st.抜きの2人でパート練習をしたり、当時の服装同じく出演するらしいF島に確認したところ、「上下黒、って書いてあったんじゃないですか?」などといってたり、ホールは9:00に開くんだけど早めに来ていいことになっているという話があっていたりなどあれこれ手が込んでいたもの。どうやら曲目はシベリウスの2番のシンフォニーだったような気がするのだが、これは先日聴きにいった地元アマオケの演奏会でも演奏されたものである。されど、今回のものはどうやら「室内楽版のシベリウス2番」ということらしかったのだが、そんなものあるのかどうかは承知していない。どんな編成なのか?そういうところにトロンボーンは入っていけるのか?ちなみに、わたしには現在トラの話はないし、そもそもかれこれ1年ほどはひとと一緒にトロンボーンを吹いたりもしていないのだけれど。
(*2)つまりはこういうこと。そこを含む擁壁の上には従来住宅が5戸あったのだが、昨年4月の震災の後、そのうちの4戸にはひとが住んでいる気配が全くなくなっていた。そして順次解体され、更地となっていた。この住宅は昨年12月に解体されていたのだが、再建されることとなったのだろう。解体から地鎮祭まで約1年近く。残りの家々はどうなんだろうか?住んでいたひとたちは今どこで暮らしているのだろうか?売地の看板が立っている土地もあるのだが。
(*3)音と音との間の移り変わりは、基本的には運指にそってある程度明確になされていたのだが、高音域の一部ではリップ・ベンドによってある種のグリッサンドがなされていたようだったし、低音域の一部では運指ではイマイチうまくいかないのかやはりリップ・ベンドにより音程が変えられていたようだった。
(*4)なんせ距離があるもので、正確なところはわからない。
(*5)地鎮祭は一般的には建築工事が無事に済むように、という意味合いで執り行われる行事なのだろうが、今回の場合、文字どおりその土地が、率直にいえば工事完了後も激しく揺れたりしないように祈る、という意味合いが、少なくともわたしには強かった。なんてったって、擁壁の高さは推定7〜8m程度はあると見込まれるのだから。

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必然的に声として響くべきことば。

10月14日(土)。
13人探すか。
それともわたしひとりで多重録音するか(*1)。

Img_5589 (*2)


(*1)「十四人以上の人物が同時に唱ふべき」とされていることから、原則としては前者によるべきと考える。されど諸般の制約により、また、個人的な関心からしても、後者によるのも魅惑的だとおもう。なお、「同時に唱ふべき」からして、この14行の各行を1パートと捉えて、14パートを同時に唱える、ということとなるとおもうのだが、各行の文字数が統一されている(とはいえ、14行目だけが1文字足りないのは如何ともしがたい)ことから、基本的には同時に唱えはじめて同時に唱え終わるという、というやり方がよいのではないかと考える。また、各行を音律の観点からみると、(1)5音×3回:1行目、4行目、10行目 (2)3音×5回:3行目、7行目、8行目、9行目 (3)1音×15回:2行目、6行目 (4)7音+6音(これを(3音+4音)+(3音+3音)ととらえる方法もあるかもしれない):5行目、13行目 (5)8音+7音(これを(4音×2)+3音+4音ととらえる方法もあるかもしれない):11行目、13行目 (6)それ以外:14行目 とグルーピングできるのではないだろうか。そして、一定のテンポの下に、グルーピングした各音律を意識しながら唱えると、ある種の音律的傾向の組み合わせが認められることばの塊、そして声の塊となって立ち現れるのではないか。だとすると、指揮者がいるとやりやすいのかもしれない。あと、「同時に唱ふ」るうえで、それぞれのパートの声質は全部違うことが望ましいと考える。特に文字だけでみると全く同じものである3行目と7行目、あるいは5行目と13行目などが。その点では、「ひとりで多重録音」のハードルが高くはなるのだが、うまく違いが出せればそれはかえって強力なものとなるような気がする。いずれにしても、ここに書かれている言葉は、声に出して唱えられることを求められているものであり、その響きをその文字の中に内在しているもの、といえまいか。
(*2)草野心平詩集(入沢康夫編 岩波文庫)P44〜P45より引用。わたしはここ数ヶ月間、いろんなひとたちの様々な詩のことばにどうやら惹かれ続けている。


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事実としては。

10月10日(火)。
秋に熊本から出なかったのはおおよそ20年ぶり(*1)(*2)。

(*1)1997年の今治から2016年のまつやままでずっと。なお、1999年の上越は個人参加。
(*2)あのときは30歳だったが、いまでは50歳となった。

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時間も空間も何もかも飛び越えて降りかかる。

6月18日(日)。
中原中也「在りし日の歌」を少しずつ読んでいる(*1)(*2)。
率直に、その世界の時間的な距離を感じる(*3)ことはあるのだが、そんなものどうでもいい、といったところも、どうやら、あるらしい。

例えば、「春」という一編(*4)。

第一連である種の空間的な解放感を味わって(*5)油断していると、第二連後半あたり(*6)で、ページの奥からこちらへ向かって射してくる強い光に見舞われてしまう(*7)。
そして、第三連と第四連のそれぞれにおける、句読点や動詞の一部を微妙に変えての繰り返し(*8)は、なんだか、ロックのようだ(*9)。

なるほど。いわゆる中也ファン、なるひとたちがいるというのもむべなるかな。
されどそちらには引き寄せられないぞ、踏みとどまるぞ、などと、意味不明な決意を固めていたりもする(*10)。


(*1)たまたま、夕方渋滞を回避するために迂回した際に通りがかった古本屋についつい立ち寄った際に見つけたもの。昭和13年に創元社(お、一発変換!)から刊行されたものが昭和48年に(財)日本近代文学館により復元されたもの、らしい。函入。
(*2)文字を目で追いながら、声に出して読んでみるのだが、なんせ旧字旧仮名遣いで書かれているものなので、率直に読めない箇所がある。そのような場合は仕方がないので、他のテキストー例えば「青空文庫」に所蔵のものーにあたってみると、ふりがなによってなんとか読めることもある。
(*3)遠い昔のことと感じる、あるいは単純に、時代の違いを感じる、ともいえよう。旧字旧仮名遣いで書かれていることが拍車をかけているところもある。まあ、書かれてから90年以上の時間が経っているからやむを得まい。
(*4)全文はこのようになっている。
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(*5)もっとも、「瓦屋根今朝不平がない、」というのはイマイチよくわからない。
(*6)「むかし私の胸摶(う)つた希望は今日を、/厳(いか)めしい紺青となつて空から私に降りかゝる。」の箇所。なお、括弧内は「青空文庫」に所蔵のもののふりがなに依る。
(*7)それは光ではなく、音であったり揺さぶる振動であったり、つまりある種の波動であり、それがまさにわたしにも文字どおり降りかかるように感じる。そしてそれは、時間も空間も何もかも飛び越えてまっすぐにこちらへ降りかかってくるものなのだ。
(*8)「――薮かげの、小川か銀か小波か?/薮かげの小川か銀か小波か?」と「一つの鈴をころばしてゐる、/一つの鈴を、ころばして見てゐる。」の箇所。
(*9)つまり、楽曲における歌詞のリフレインを想起させる、ということ、か?具体例、となるとなかなか思い浮かばないのだが、あえてひねり出すと、英国のバンド、RIDE のナンバー、"Seagull"('90)。もっともこの曲に関しては、歌詞カードに記載されている歌詞と実際に聴こえる歌詞がどうも食い違っているような気がして、イマイチ実例としては挙げにくいのだが。
(*10)ホントに意味不明。我ながら難儀。

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世界はかくも複雑に成り立っている。

6月11日(日)。
Beethoven の Op.131(*1)のレコード(*2)を、スタディ・スコア(*3)を追いながら聴いてみる(*4)。
うーん、これは凄い。
気づかないうちに何度も切り替わっていく調性(*5)、また、気づくけれど頻繁に切り替わっていくテンポや拍子。その中で、各楽器のその音楽的な役割が、入れ子状の構造の元でこれまた頻繁に切り替わっていきながら、それは全体として一つの、ある種の秩序に従って、息つく間もなく一直線状に突き進んでいく(*6)、とでもいったらよいだろうか。
すごく久しぶりに、室内楽的なもの(*7)に触れた気がする(*8)。そしてそれは、かつてほとんど憧れを通り越して嫉妬に近いほど、渇望していたもの(*9)だということをおもいだした。


(*1)弦楽四重奏曲。一般的には第14番などと呼ばれているもの。cis-moll。
(*2)Barylli Quartet による、おそらくは1950年代の録音とおもわれるもの
(*3)ヘンレ版。
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(*4)そういうことをするのはいつ以来か、記憶にないほど久しぶりのこと。
(*5)特に第一楽章で顕著。
(*6)この曲は全体で7つの部分ーいわゆる、楽章ーから構成されているのであるが、それぞれの間に複縦線はあっても終止線はない。つまり、切れ目なく続いていく。とはいえ、LPレコードだと収録時間の都合上、どこかで切れ目を作って裏返さなければならない。この盤においてその切れ目は、第4楽章と第5楽章との間に設定されている。
(*7)わたしにとってそれは、単なる主従関係のような単純な構図ではない、もっと相関した、複雑なものであるということを意味する、のだろうとおもう。
(*8)そしてそのようなものに触れると、世界がそうそう単純ではなく、複雑に成り立っていることにふと気づくことがある。それで日々の日常をなんとかやり過ごすことができることも、おそらくはあるのだ。そういうことでよいのか?という疑念をどこかに抱えつつも。
(*9)自分の手でそのようなものに直接触れることは、もう諦めた。


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あの夜、揺れた。

12月14日(水)。

仕事して帰る夜道
被災地の村をゆく
あの夜
うちあたりと同じように
このあたりも揺れたのだ
ただし
こっちの方がずっと暗い
季節こそちがえど
あの夜
この静かな
暗い闇の中で
揺れたのだ
そして次の夜
もっと静かな
もっと暗い闇の中で
もっと
揺れたのだ
家が
揺れたのだ
山が
揺れたのだ
川が
揺れたのだ
森が 田が 畑が 道が
そして
見えない中で
崩れたのだ
割れたのだ
落ちたのだ
壊れたのだ 壊れたのだ 壊れたのだ

季節こそちがえど
8ヶ月が経ったのだ
あの夜から

たくさんの
壊れたものを見てきた
そして
たくさんの
どうしようもないものが
壊し尽くされるのを見るようになった
この数週間で
うちあたりの
たくさんの
見慣れた家々が
見慣れない家々が
更地となった

わたしもまた
壊れたのだ
わたしもまた
壊し尽くされなければ
ならないのか

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被災地のピアノ。

10月15日(土)。
あの震災から半年になる(*1)、というので、ここ数日間TVで関連・特集番組が放送されている(*2)のを、いくつかみる。
いろいろあれど、その中から、ひとつだけ。

NHK-GTVの「週刊ニュース深読み」。この日は益城町から生放送(*3)。
その中で紹介された、御自宅でピアノ教室をされていた女性の方のケース。
「前震」の翌日はまだ一応無事だったピアノが、さらにその翌日未明の「本震」により壊滅的な被害を受けた家屋の壁を破って外へはみ出している。
その一連の映像をみていて、パッと思い浮かんだのは、芥川龍之介の小品「ピアノ」(*4)。
あの、いわゆる関東大震災の後のある秋の日。横浜の山手にある廃墟の町を通りがかった「わたし」がみつけた、とある家の崩れた跡地に「半ば壁にひしがれた」ままで、秋の雨に「つややかに鍵盤を濡らしてゐた」ピアノと、その、聴こえるはずがない音をめぐる話。

そのケースとこの話に共通するのは、震災の後のことであること。そして、崩れ落ちた家と、そこから外にはみ出してしまったピアノ。そのくらい。場所も、状況も、時代も、いろいろなことが異なる。むしろ、ほとんどのことが異なっている。

それでも、これらのシーンと話との間にどこかに似通った、あるいは共通したものを感じてしまうのだ。
この話を最初に読んだとき(*5)に感じ取った「リアリスト」の抒情は、わたしも体験してしまったあの震災によって多少は変質したのかもしれない。
なにしろ、わたしがいまいる場所と文字どおり地続きとなっているところで起こった、あの家庭を襲った災禍は、わたしとは決して無縁なものではない。家が崩れてピアノが壊れて何もかもグシャグシャになってそれらが外に晒されてしまういうことは、わたしの家庭にも起こっていたかもしれないことなのだ。
あの震災の前と後では、そのリアリティがあまりに違う。
それでも、「わたし」が聴いた「誰も知らぬはずの音を保ってゐた」ピアノの音。そして、番組の中で紹介された、修理復元されたアップライトピアノ(*6)(*7)の音。それらにはどこか似通った、あるいは共通したものがあるかのように感じた。

どこか似通った、あるいは共通したものとは、何なのか?
それは、音によって想起されるある種の抒情であったのかもしれない。
それが聴こえるものであったにせよ、聴こえないものであったにせよ


(*1)いわゆる「平成28年熊本地震」。今年4月14日の夜に起こった「前震」と同じく16日の未明に起こった「本震」から起算してのこと。
(*2)一例をあげると、NHK-Gテレで8:30から放送されている「あさイチ」。10/13(木)は阿蘇市から10/14(金)は西原村からそれぞれ生放送されたという。
(*3)どうやら、(*2)と合わせて3日間連続現地から被災地から生放送。
(*4)ここでこの注記を参照された方には、まずは原文を読んでからこの先を読まれることをオススメする。わたしは長いことこれを、芥川が実際に体験したこと、として読んでいたのだが、実はそうではなく、短編小説なのかもしれない、ともおもっている。というのも、筑摩書房「近代日本文学」第23巻「芥川龍之介集」に掲載されている本編の末尾には、「(大正十四年四月)」と付されているから。いわゆる関東大震災が起きたのは大正13年9月。「或雨のふる秋の日」と「去年の震災以来」からすると、震災の翌年春にこれを書いているというのは時系列的に多少の無理がある。とはいえ、フィクションかノンフィクションかは大した問題にはならない。それにしても芥川って、つくづく文章が巧い。
(*5)このときのことは、2011年4月5日分に書いている。
(*6)実は紹介された方のピアノは2台あった。壁を破って外にはみ出していたのはグランドピアノ。それはさすがに修復が困難なようだった。
(*7)このピアノのことを、その女性の夫である男性は、何もかも失った中で残った唯一の希望の光だ、というように話した。そう、ピアノは光なのだ。

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